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相談事例から

 

統計でもおわかりのように、当センターに寄せられる相談は多種多様にわたり、そして、そのどれもが心からの支援を願っております。昨年十一月、飲酒運転の大型トラックに二人の幼い子どもの命いのを奪われ、当センターに相談を寄せられている井上郁美(いのうえいくみ)さんが、このたび「永遠のメモリー」(河出書房新社)を発刊されました。この著書の一部を紹介させて頂き、被害者の心のうちや当センターの支援活動の一端をご理解いただければと思います。

 

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事例1 交通事故による被害者からの相談

かみしめたいカウンセリングの大事さ

四月に、産休・育児休業があけて職場に復帰しても、私はとても仕事に向き合える状態ではありませんでした。書類の日付が、事故の起きた十一月二十八日以前のものを見ただけでも、「この仕事をやっていた時には、あの子たちは生きていたのに」と思い、職場でも人目も気にせず涙がぽろぽろ出てくるありさまでした。同僚には、どうか、例え私の涙を見ても、あくびをしているのかな?と思ってほしい、あるいは見てみ見ぬ振りをしてほしいと願ってました。

子供たちが居なくなってしまったのに、以前と変わらず職場に戻っている自分に、罪悪感さえ抱いていました。そんな自分は少し疲れているのだろう、と休みをもらい一日家に居ると、なおさら良くありませんでした。一人で悶々(もんもん)としていると、何度も事故直後のことを思い出し、どうしても子供たちを助けられなかったのはわかっているのに、「どうして窓からでも放り出せなかったの?」という言葉や、「チャイルドシートにくくりつけていたのがよくなかったのではないか?」などという、他人の何気なく言われた言葉が頭の中でぐるぐる回りました。

事故が起きたのは、私たちにまったく責任のないことだというのは明らかであるのに、「こうすれば、事故に遭わなかったのに」という、人から聞かされた仕方のない話ばかりがよみがえります。そして、それはだんだんと事故の加害者そのものへの憎しみより強い感情に変化していき、そんな自分になおさら嫌悪感を覚えるようになってきます。私はあれほど周りの人にお世話になったのに、なんでこんなに心が狭いのだろう?どうして、あんな些細(ささい)な一言が許せないのだろう?自分の人間性までおかしくなってしまったのだろうか?体は無理やり職場へ持って行くことはできても、これではとても責任のある仕事をきちんとやるにはほど遠い状態でした。

自分一人では、これらの怒りや悲しみや憎しみという感情を、もはや処理しきれないと悟った時、私は思い切って心療カウンセリングの専門家に話を聞いてもらうことにしました『犯罪被害者遺族』(小西聖子著、東京書籍刊)という本に載っていた、『被害者支援都民センター』の連絡先に電話をし、事情を話し、予約を取りました。

 

 

 

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