2. 作業にあたって
まず問題となったのが隊員の班分けであった。先発隊だけでも19名、後発隊も加わると総員39名である。実動隊員は約30名であり、この班分けが作業の効率を左右するので慎重にならざるを得ない。24時間で作業することも考え、1班約10名の3班構成とし、消防・海保混成のチームを作った。混成チームにしたことは、海保からは実働2名であり1班作れないこと、各班の年齢構成・経験を揃えることを意図したものであった。先発隊の私は第3班の班長、池田隊員は第3班隊員となった。
「海保チームを」という意見もあるが、この意見にはあまり賛成できない。それは、
・陸上の災害であり、海保はこの手の災害の経験が少ない
・共同作業することにより消防、海保を超えた仲間意識が広まる(孤立しない)
・経験、技能を有する人間が1班に固まらない
という理由からである。私は3班の班長を務めさせて頂いたが、消防の様々な手法・経験則を垣間見ることができ、非常に良かったように思う。また、消防・海保を超えた結束感が生まれ、「JAPAN TEAM」として良く機能できたと思う。
次に作業の方針であるが、日本チームは「原則生存者の救助を行う」ということに徹した。例えばある現場を捜索中に要救助者を発見したが、既に社会的死亡状態であった場合、この者の救助は行わなかった。
我々が活動を展開したYalovaは、いたるところで建造物が崩壊しており活動の対象となり得る場所が非常に多く、生存者の情報がいつ寄せられるか分からない状況であった。事実、出動は非常に頻繁にあり、休憩を取る間も食事する時間もないほどであった。このような状況下で遺体の救出・搬送にあまりにも多くの時間を費やすと、次の生存者の捜索・救助に向かえなくなってしまう。これは「阪神・淡路大震災」の経験則でもあった。
しかし一方、そこに人がいるにもかかわらず(息はしてないが)救出・搬送を行わないという判断を決定するのが私には難しかった。私は班長であったので、作業の中断を決定しなければならない。しかもなるべく早い時機に方針を決定しなければならなかった。いたずらに作業を延長すれば隊員の疲労が蓄積され、関係者に叶わぬ期待を持たせるだけとなる。遺族にしてみても「優秀な日本チーム」が例え生体反応のない者であっても救出できないはずがない、救出してくれるはずだ、という思いが常にあったはずだ。