吟剣詩舞だより
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中国江南の春 吟行会 蘇州・杭州・上海を訪ねて
「千里鶯啼いて 緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風…」
閏年の本年二月二十九日、朝十時に成田空港を飛び立ち、中国時間十二時三十分、上海空港に降り立った私達吟詠愛好者一行五十名は、早速バス二台に分乗、蘇州市に向け出発しました。初春とはいえ、意外に暖かい陽射しの下、高速道路上を一路蘇州市目指して走り続けます。杜牧の心境に浸り、心をこめて朗々と吟ずる美声。「南朝四百八十寺多少の楼台煙雨の中」。又誰言うとなく自然に流れ出る「蘇州夜曲」の歌声。「…水の蘇州の花散る春を…鐘が鳴ります寒山寺」。全員の心は、早くも蘇州市の「寒山寺」に魅かれておりました。

そこで次期住職継承者「秋爽(ちょうそん)尊師」のお出迎えを受け、(御住職釋性空尊師は蘇州市会議へ出席して不在)「本当に、ようこそ、この寒山寺にお越し下されました。心から歓迎いたします。今後も、中国と日本は更に友好を深め、益々文化の交流を図りましょう」のお言葉を賜りました。その上、来訪の記念として、私が代表し素晴らしい寒山寺の銀のお盆を拝受しました。正に全員感無量。続いて「月落ち烏啼いて霜天に満つ…夜半の鐘声客船こ到る」有名な漢詩「楓橋夜泊」の碑の前で、朗々と吟じた私達五十人は、名残を惜しみつつ、蘇州市を後に一路杭州市に向かいました。

中国には、風光明媚な西湖が三十六有るといわれていますが、蘇軾は、この杭州の西湖こそはその最たるものであると、こよなく愛しました。役人として赴任し住むこと約五年、その間西湖を浚渫し、その土で湖中に堤を造り橋を架け樹木を植えて、その美観は正に「天下に冠たるものである」と、自負したことでしょう。
湖中に美しい堤を築き、蘇堤と呼ばれていますが、その蘇軾の功績を表わすかのように、堤の袂に「蘇東披(蘇軾)記念館」が建っています。その記念館の中に、蘇軾が、杭州の西湖の人たらん気持ちを表わしたのでしょうか、次の文字が記されていました。

翌二日朝、私達は西湖の遊覧船に乗り込みました。延々と何処までも続き、うっとりとする程の美しい眺め。湖を取り囲む優美な山波。ふと気がつきますと私達は「湖上に飲す」を吟じていました。
上海に着いた私達は、先ず魯迅公園を訪れました。魯迅先生の有名な言葉「横眉冷對千夫指(まゆをよこたえて ひややかに せんふのゆびにたいす)俯首甘為孺子牛(こうべをたれて あまんじてじゅしのうしとなる)」が魯迅記念館に記されています。魯迅先生のお墓にも詣でました。
前夜船上で、黄浦江岸バンドの、素晴らしい夜景に酔いしれた私達は、平成十二年三月三日十四時十分、上海空港に別れをつげました。再見(さいちえん・さようなら)(千葉県 深沢吉翠)
第二十六回関東少壮吟士自主研修会開催
第二十六回関東少壮吟士自主研修会が、二月十九日(土)・二十日(日)の両日、東京・立川市で十八名が集まり行われた。
今回は吟詠芸術向上と芸域を拡げる為の鑑賞会と芸術・文化の見学会を主題とした。
十九日よ、朝十時東京駅を出発し、歌舞伎鑑賞の後、場所を立川グランドホテルに移し、伴奏テープ採用に伴う音程審査について、国旗・国歌についてなど、沢山の資料について討議が行われた。続いて懇親会に入り、今年度で現役を引退される、長谷本春瑛吟士と犬飼聡風吟士の送別会が行われ、二人の人柄や印象、思い出を語り合った。
翌日は、立川より奥多摩に向かい吉川英治記念館・川合玉堂美術館を尋ね、その文学の広さと芸術の深さに感銘を受けた。折しも降り始めた小雪の中、奥多摩寒山寺に今後の大成を祈願して『楓橋夜泊』を合吟し研修会を終了した。
(少壮吟士 中澤春誠)
六月NHKラジオ
FM吟詠放送
「邦楽のひととき」
●放送日時
六月十五日(木) 午前十一時〇〇分〜同三〇分
再放送
六月十六日(金) 午前五時二五分〜同五五分
●吟題と出演者
一、和歌・鎌倉や(与謝野晶子)
絵の島(菅茶山)
<吟>清水照鵬
二、和歌・大海の(源実朝)
海を望む(藤井竹外)
<吟>平形鴻成
三、舟八島を過ぐ(正岡子規)
海南行(細川頼之)
<吟>藤河賀久清
四、貧交行(杜甫)
海に泛ぶ(王守仁)
<吟>臼井寛洲
五、烏衣巷(劉禹錫)
金陵の図(韋荘)
<吟>森下黎華
六、零丁洋を過ぐ(文天祥)
<吟>佐々木一景