後者は、足助町に新たに転入し、町内業者に工事請負させて、住宅の新増築・改造を行う世帯に対し、最高50万円(実工事費と比較して低い額)を、1回に限り、補助しようというもので、こちらは、本年度新設されたばかりなので、実績はまだでていない。
IV UIターン者との面談
現地調査の際、UIターン者のお二人と面談する機会を得た。
H氏は49歳のUターン者である。江戸末期から6代続く鍛冶屋の当主でもある。その昔、足助には30軒もの鍛冶屋があった。のこぎり鍛冶、車鍛冶、くわ鍛冶、刃物鍛冶などの分業体制が敷かれていた。H家はもともと刀匠の家柄であった。しかし、H氏の父(5代目)は、終戦を機に日本刀を打つのをやめた。その父は69歳で、今もH氏の師匠である。H氏は、東京の大学を卒業後、豊田市の楽器販売会社に勤めていたが、13年前、氏が36歳のとき脱サラし、鍛冶屋をついだ。妻は渋ったが、説得し、Uターンした。学生時代にフォークにのめり込んだこともあり、店の2階をライブ・カフェ(50席弱)に改造、毎週1〜2回、ライブも行なわれる。自らもシンガー・ソング ライターで100曲以上の自作曲を持ち、CDも2枚リリースしている。
現在、足助の鍛冶屋は、H氏の店一軒だけになり、いろんな仕事をこなしているが、更に三州足助屋敷の昔の手仕事の紹介コーナーにも、鍛冶として参加している。
町の生活で、不便を感ずることはなく、3人の子供も大学4年と1年、高校3年となって、妻も子供を通じて地域の人々とコミュニティーをもった。番困るのは、紅葉シーズンの大渋滞だということであった。
もう1人はIターンのS氏。出身は沖縄だが、子供の頃は大阪ですごした。大学は愛知芸術大学、住宅や店舗の設計業を営む、現在40歳台半ば、半田市出身の妻と結婚し、名古屋市内で仕事をしていたが、自然に囲まれた里山に住んで仕事をしたいと思い、東海地方から関西圏まで多くの候補地を探したが、足助町が一番よいと考え、5年ほど前に移住した。妻も積極的だった。
仕事は、電話とファックスがあれば、注文は、口コミや雑誌掲載で、とれるし、専門の図書も、その気になれば、通販等で入手できる。元来、物を持たない主義で、本や雑誌をみて得られるものは知れている。自然の中で仕事をしていることで発想が豊かになり、アッピールするものも豊かになる。それで、注文もふえるようだ、という。
住民とのおつきあいも入りやすかったし、子育てにはなやんでいない。日常の生活にはスーパーもあって全く不便はない。自然にいつも接していることが何よりよい。彼が私との面談の最後に、「子供を育てるのには、日常の自然が本当に大事です。休日に郊外等に出て、まとめて自然を体験するという暮らし方には限界がきています。そう思ってこちらに移住しました」と述べたのが強く記憶に残った。