香嵐渓の「もみじ」は、寛永12年(1635)飯盛山ふもとの香積寺の住職 三栄和尚を中心とする人々が般若心経を唱えながら一本一本植えた楓が基礎となっている。大正13年(1924)頃から、青年団、在郷軍人会、婦人会などの勤労奉仕で、この飯盛山は森林公園として整備され、昭和5年(1930)、足助町に来町した大阪毎日の本山社長と深見足助町長、香積寺雲外和尚との会談で「香嵐渓」と名付けられ、その後、成木移植もすすめられ、巴川に待月橋が架けられるなど整備が進捗した。
昭和55年(1980)には、農水省の第2期山林地域特別対策事業で「生きた民族資料館、生産と販売を取り入れた経済活動の場」として“三州足助屋敷(写真3)”がオープン、香嵐渓は、一段と有名になったのであった。
「百年草」(写真4)も福祉施設であるとともに交流の施設であるという考え方でつくられ、社会福祉協議会などの福祉部門と百年草協会という営業部門が同居している。かつ、福祉部門のシルバー人材センターの「Zizi(じじ)工房」(写真5)、「バーバラ(ばば)ハウス」(写真6)の管理も百年草協会がやっている。Zizi工房はハム、バーバラハウスはパンをつくっており、高齢者の働く場であり、同時に足助町への来訪者との交流の場でもある。
このほか、愛知県の「あいちのふるさと創生」事業の第1号の「足助城」(400年前の山城:写真8)の再建、古い町並み保存(足助資料館、足助中馬館(写真7))などがある。