日本財団 図書館


事例7:家族で難民として来日したケース

 

Iさん家族の背景

1995年、Iさんの家族はイスラム教の流れを汲む一派を信仰するという理由で、自国で村八分にあい迫害されたため、庇護を求めて夫婦と子ども一人の3人で来日した。

夫の兄はすでに来日し、日本女性と結婚していた。来日後すぐIさん家族は難民認定の申請をした。しかし、夫の就職の関係で転居するうち、申請の結果通知(不認定)を受け取らないまま5年の歳月が流れ、ビザはすでに切れオーバーステイになっていた。その間に子どもが1人増え、4人家族になっていた。

2000年春、夫は不法就労とその他の理由で収監された。Iさん家族は「不認定への異議申し立て」と「仮放免許可の申請」をした。約1ヵ月後、妻と子どもに「仮放免許可」が出た。夫の兄が保証人となり、預かり金を立て替えてくれた。夫は入国管理センターに収容された。この過程のなかで、UNHCRはIさん母子が外国人登録の未登録や就学年齢に達している子どもが未就学児であることが分かった。

 

相談援助の過程

ISSJはUNHCRより上記の手続援助を依頼され、早速ワーカーはI夫人に電話した。Iさん家族は来日後、自国の習慣を守り、妻はあまり外出することなく家にて家事育児に専念し生活していたため、日本語も英語も片言での対応であったが、市役所や教育委員会での手続はスムーズに済み、外国人登録の申請も子どもの修学も出来るようになった。しかし、Iさん母子が抱える問題はそれで終了とならなかった。

それは夫の勤めていた会社の借り上げ社宅を早急に出なければならなくなった。しかし、他の借家を借りる資金もなく、その上家賃を払い続ける見込みもない。その上、夫の兄も自国の仲間もIさん母子を支援する余力はない。働く意欲を持っていても幼い二人の子どもを抱えての就労は困難である。ましてや仕事をした経験も、女性が稼ぐという習慣もないI夫人には求職する意志もない。ただ、ひたすら夫の「仮放免許可」を待つ。

ないないづくしの中で、ISSJワーカーは関係機関の協力を得られるように努め、UNHCR、難民事業本部、日本福音ルーテル社団、難民支援教会や日本に在住している同宗派の人々等の支援協力により2001年5月までの住居と食料の確保をすることが出来た。しかし、その後の協力は望めず、住居探しの課題が残されている。現在はI夫人も働く気持ちを抱くようになってきている一方、ISSJワーカーとIの担当弁護士は彼に一日も早く「仮放免許可」が出るように法務局に働きかけを行っている。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION