天からの贈り物
-第88回-
野村祐之
(青山学院大学講師)
コミューケーションの意味
父の脚のレントゲン写真を見せられたときには、ある種の感動を覚えました。大腿骨のつけ根のところで見事にポキリと折れているのです。
「ステンレスの副板を当てボルトで骨に固定することになります」という医師の言葉もなんだかこわれた椅子の修理のようにしか聞こえません。「杖をつきながらでも自分の足で歩いて帰っていただきます」という自信に満ちた先生の声に、それまでの不安も緊張感も吹き飛んでしまいました。この分なら痛みは多少残っても命に別状はなさそうです。
「お父さんは87歳でしたね。高齢者の方がこういう手術を受けた場合のリスクというのがあります。」という先生の説明に何のことかと思ったら、手術のショックやストレスで痴呆が始まったり今までよりその段階が進むことがあるのだそうで、いちおう覚悟しておいてほしいというのです。それまで父は打てば響くというわけにはいきませんが、ゆっくり噛みくだいて話せば政治談義からゴミの分別の日程のことまで、コミュニケーションに支障はありませんでした。
今まで痴呆について正面から考える機会がないままきましたが、痴呆は大問題というより老化に伴う自然現象で、それ自体が異常なことではないはずです。髪の毛やひげが白くなったって父にかわりはありませんでしたし、前歯を失い、新聞の細かい字が読めなくなったって父は父でした。それと同じで痴呆になったって父は父であり続けるでしょう。いやこれは比較がよくなかったかもしれません。白髪は染めればいいですし入れ歯や老眼鏡で失った能力を取りもどせますが、痴呆にはそういったゴマカシはきかないでしょう。
しかしポイントはゴマカせるかゴマカせないかではなく、父は父としてあり続け、僕が息子であることも祐香がたった一人の孫であることにもかわりはない、ということです。
では、痴呆の可能性と聞いて何を恐れているのか。それは父とコミュニケーションがとれなくなってしまうことだったような気がします。それによって父を失う、という思いがあったのです。
ベッドからストレッチャーに移され手術室に向かう父を家族3人で見守り、「がんばってね、早く元気になってね」と見送ったのが、父を含めて家族4人共にくつろいでなごやかに交わした最後の会話になってしまいました。
手術後、父はかなりのショックを受けたようで、食事も受けつけなくなり、医師や看護婦さんを相当手こずらせたようでした。僕が訪れて会話を交わすときは看護婦さんが「同じ人とは思えない」ともらすほどで、意思の疎通もとれ、言うことにもそれなりの筋がとおっていました。たとえば空中でしきりに手を振り「やだよ、やだよ」と顔をしかめるので何のことやらと思ったのですが、こちらが身をかがめ父の頭の位置から上を見ると、天井の蛍光灯が真正面に目に入り、昼も夜もまぶしい状態だったとわかりました。コピー用紙を一枚セロテープでつるすだけで解決しました。
父の側から考えてみると、はっきり覚えているのは家のベッドの脇で痛くて立ちあがれなくなり、車で今まで来たこともない所(病院)に運びこまれ初めて会う名も知らぬ人たちに痛いところをいじくりまわされ、食べなれないものを好き嫌いおかまいなしに口に放りこまれ、話もちゃんと聞いてもらえないのですから、父としては拒否するか自分にとじこもるしか自己主張、自己防御の方法がないのさ、ということになるでしょう。
これが痴呆の症状かどうかは別としても、コミュニケーションの欠如はたしかです。コミュニケーションて何なのでしょう。言葉さえ通じあえばそれでいいのでしょうか。
コミュニケーションという言葉のもとは「コミュニケート」という動詞です。そのルーツはラテン語にあり、「コ」は「互いに、共に」、「ミュニス」は「仕える、奉仕する、重荷を負う」といった意味ですから「互いに仕えあうこと、共に重荷を負いあうこと」ということです。コミュニケートしたときそこに「コミュニティ」が生まれるのです。それについては次回考えてみることにしましょう。(つづく)