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Peace House

 

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ホスピスニュース

2000.6 No.169

財団法人ライフ・プランニング・センター

ピースハウスホスピス

〒259-0151 神奈川県足柄上郡中井町井ノ口1000-1

TEL(0465)81-8900(代) FAX(0465)81-5520

 

あれから三年

ピースハウス家族の会 大久保良子

 

ピースハウス家族の会とは

ピースハウスでケアを受け、ご家族を看取られた方たちが、同じ思いを持つご遺族のためにつくられた会です。月に1回の会合や会誌『悠友』を発行するなど活動しておられます。

 

亡夫がピースハウスにお世話になったのは、1996年暮れから1ヵ月余、厳冬の旅立ちでした。それは、私の60歳の誕生日の前日でした。夫は生前自分の思うようにならなかったのは「この病気だけ」と言っていましたので、後のことはすべて彼の書き残した遺志の通りにしました。近親者だけの野辺の送り、彼の大好きだった真夏の相模灘での散灰、これは彼の父親も昔、阿波丸と共に沈んで海の中なので、親子緒に安堵したのも束の間、耐えがたい寂寞感に襲われました。折から、沢村貞子さんの散骨がマスコミの話題に上がっていて、私もあんなに急がずに、自分の時まで側に置いても良かったのにと後悔しました。何とか元気になりたくて、ツアーに参加しての一人旅や新聞で見つけた講演会や展覧会、そしてカルチャー教室にも通い始めました。家に居る時は泣きながらでも一度は外に出て歩き、晴れわたった青空や移りゆく夕べの美しさに、心が洗われました。また、この1年間、折々に届くピースハウスのスタッフからの見舞い状には悲しみを新たにしながらも、どれだけ心なごんだことか、喉元まで一杯つまっていた無念さや後悔がその度に、少しずつとけてゆくようでした。最初の年は私の定年退職と重なり、落ち込みがひどく、一番困ったのは、いままでの知人に会いたくなく、退職にかかわる会合も学生時代のクラス会も不義理のままです。命日の大寒の頃には、厳しい寒さと淋しさが一人住まいの身に同時に襲い、かかりつけの医師に助けを求めました。

2年目には亡夫の友人に声をかけられ、学校に再就職しました。3時から夜8時までの勤めなので、始めたばかりの鎌倉彫も続けられるし、何よりも夕暮時を忙しく過ごし、夕食も食堂で皆と一緒なのが、一人暮らしの私にぴったりでした。この頃、雑誌の紹介で知り、図書館で借りて読んだメリー・M・グルーディング著の『さようならを告げるとき』では、心理学者でも最愛の夫との死別後の苦しみは私と似たようなもの、3年を過ぎて「さようなら」を言えたことに驚きました。悲しみに打ちひしがれ、じたばたあえいで、いろいろなことをやってみても「時薬(ときぐすり)」が必要なのでしょうか。『悠友』が届くと他の郵便物はさておき、一気に読みました。ピースハウスは私たち夫婦にとって最後のステージ、毎朝、ホールから仰いだ富士山や楽しかったティータイムを思い出しました。

3年目を過ごしていて、涙で眼鏡が曇ることが少なくなったことに気付きます。不便な一人暮らしも慣れるまでの辛抱です。昔、子供達が巣立った時、淋しさにも次第に慣れ、気がついたら台所の鍋類は皆、小さい物に変わっていました。世話になっている鍼灸師に「大久保さんは何もかも一人で頑張り過ぎなのでは。私も年をとっていくんだから、いざとなったらお願いね、と子供達に言える方がいいんじゃないかしら」とアドバイスされました。そうなんです。子供達に残す財産は何もない。上げられる物は「自由」だけなので、親のことは気にせず好きなように生きなさいと格好のいいことを言っちゃって、肩に力が入っているのでしょう。

 

 

 

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