天からの贈り物
―第82回―
野村祐之
響け!紅白歌合戦
自室の床に仰向けに倒れ右脚の痛みを訴えていた父は、かつぎこまれた救急病院での検査で大腿骨がつけ根でポキッと折れていると判明しました。
手術してボルトで折れた骨同士をつながなければならないといいます。さらに金属の板を当て3本のピンで大腿骨に固定することになる、と担当の先生が図解しながら説明してくれました。
まもなく米寿という父にそんな大手術はさせたくないというのが、その図を見つめながらの僕の率直な思いです。
でも手術をしなければどうなるか。腰のつけ根のところで完全に折れ、ぶらさがっている状態の大腿骨をそのままにしておくわけにはいきません。
直立二足歩行を選択した人類にとって脚が一本きかなくなることが決定的な制約となることを改めて思い知らされました。野生の動物だったら生命存続を脅かされる致命傷のはずです。
それにしても前日まで近くのスーパーをのぞきにいったり、孫娘にプレゼントを、と吉祥寺あたりまで電車でひとりで出かけていく姿を見ていただけにとても信じられません。
でも手術を受ける以外選択の余地はなさそうです。それに骨折は病気ではなくケガですから、循環器はじめ消化器や呼吸器は今まで通りのはずです。しばらくの入院で寝たきりにならないようリハビリなどをしっかりやれば、かなりの回復は望めるのではないでしょうか。先生の見立てでは、「術後1、2週間でリハビリを始め、一人で歩けるようになるまで1ヵ月前後の入院は必要でしょう。うまく回復してもこれからは杖が必要になります。思わしくいかない場合には高齢ですし、車椅子使用ということもあり得ると思っておいてください」とのことです。
そうなると、マンションの入口やトイレ、風呂場など可能な限りでの改造が必要でしょう。もっとそれは在宅でできる範囲内の場合で、そうでなければどこかの施設に入居を考えなければいけないのでしょうか。そんな情報はどうしたら短期間に合理的に集めることができるのでしょう。
いや、それもこれもこれからの手術と回復の状況次第じゃないか、といろいろなおもいが駆け巡ります。
でもまずは治療が先決です。そのための手術です。
とはいえ、ペットの手術じゃあるまいし、家庭の同意でゴーサインというわけにはいきません。当のご本人が状況を理解したうえで承諾してくれなければ、むりやり駒を先には進められません。
本人にしても何が起きたのか、状況をしっかり把握しておれば治療に納得がいき、痛みや不快感への対処も積極的なものになるでしょう。
さいわい父はエンジニアだったので、むしろ合理的、機械的に説明すればきっと分かってくれるはずです。
僕はペンとメモ帳を、ベッドの父に見えるように持ち、骨折の様子をイラストに描いていきました。
父は、それが自分の脚のことだと気づいたとたん頑なに目を閉じ、それ以上は知りたくないと拒否しました。
結局は家族の判断で、続々と出てくるお医者さんの提案に、戸惑いながらも次々と承諾を重ねていくしかありませんでした。
右ひざのすぐ上に金属のピンを横に通して串刺し状態にします。このピンを重しにつなげて引っ張り、骨折箇所を元の位置に近くもどしていきます。数日後、位置が定まったところで手術ということになります。
暮れも押し詰まった12月29日午後、父の手術が年末最終のものとなりました。
術後すぐに見せていただいたX線写真には息を呑みました。金属板とボルトやピンの影がくっきりと映り、まるでサイボーグの脚のようです。それも事前に先生が図解してくださった“設計図”どおりで、ただただ驚嘆です。
術後の経過もよく、付き添っているとしずまりかえった病棟のどこかからテレビの音がわずかに漏れてきます。
にぎやかな声援は紅白歌合戦のようです。この番組ほど今の日時を即座に伝えてくれるものもありません。
いつもは偉大なるマンネリとしか感じず、とりたてて見る気もなかった紅白ですが、夜更けの病院で父の寝息にほっとしながら聞く歌声に、「おかげさまで親子一緒に年が越せそうだ」という感謝の念でこころが満たされました。いまこの瞬間、全国のあちこちでそれぞれの人生の旅路の途上で、いろいろな思いと共にこの番組の響きに耳を傾けている人があるのでしょう。今宵、この番組に慰められ、励まされ、安らぎと温もりのよりどころを求め、こころ癒されたのは僕一人ではなかったでしよう。
(つづく)