日本では、“スピリチュアル”を宗教的なものではないことと強調して使っていますが、そうであるならあえてスピリチュアルという言葉を使わなくともよいのではないかとも思うのです。むしろ、“実存的な苦しみ”とでもいうほうがいいのかもしれません。いま日本ではこのスピリチュアルという言葉をあえて宗教的な意味を除外して用いようとしているのですが、その流れに沿って、私もスピリチュアル・ペインを心理面から考えているわけです。
スピリチュアル・ペインのプロセス
スピリチュアル・ペインが体験されていくプロセスは、人間の自己充足的なものが先ほどいいました危機に直面するところから始まります。もし、危機に直面してもその問題が解決されればスピリチュアル・ペインは体験されません。しかし、そのペインの原因が解決されないで長期化、あるいは慢性化すると、「なぜ私だけがこんな問題を抱えこまなければならないのか…」という疑問が生じます。「なぜ私だけが…」、「なぜあの人でなく私が…」という疑問を訴えかけるようになります。
多くの場合、「なぜ私が…」ということをつきつめていってもなかなか答えは出ません。そうすると次に生じる疑問は、「何か私が悪いことをしたのではないか」ということです。しかし、自分の周りにいる人と比較しても、むしろ自分は真面目に生きてきたという思いが強い場合が多いのです。そうなると、当然、「自分は悪いことはしていないのに」という思いも出てきます。ある場合には「では私の先祖が悪いことをしたのだろうか」と思う方々もいます。