“いま・ここ”での自分らしさの獲得
「自分らしさ」「自分としての全体性」といっても、なにか不変の確固とした形があるわけではありません。当然のことですが5歳のときには5歳児としての「自分らしさの全体性」があり、50歳の「私」には50歳なりのそれがあります。また80歳になればそのときなりの全体性というものがあるでしょう。20代の頃を思い出して体力の衰えを嘆き、「あの頃のような若さと健康は失われてしまった。せっかく獲得した全体性が欠け、年老いてしまった」と嘆くのは見当違いです。昔の自分を理想化し、「いまの自分」をそれに合わせようとするのは不健康なことです。常に「いま、ここ」にいる「私」において全体性が、健康が追求され、見いだされていかなければならないからです。20代には精一杯であったことでも、50代のいま振り返れば未熟なことも多々あった。あの頃には思いもよらなかった人生の深い味わいをいま楽しむことができる。人生、その時その時に応じての「私の全体性」があるわけです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、病いを得ながらも自分なりの全体性を獲得している限り「健康だ」というのです。同時に、健康診断で太鼓判を押されたって自分としては不健康をかこつということもあるということです。
ここのところをもう少し説明しておきましょう。
たとえばがんを得たとします。実際に体験なさった方にはたいへん失礼だと存じますがお許しください。がんという余分なものが発生してしまったために、その人の健康、すなわちそれまでの全体性が崩れてしまった。どうしたらいいか。余分ながんを切除するか消滅させることで、もとの全体性が取り戻せるはずです。それによってその人は癒され、健康を回復するのです。