パッションというと「情熱」と思われるかもしれませんが、本来は「苦しみ、痛み」という意味です。苦しいほどの思いのたけが情熱というわけです。ジュースの缶に「情熱の果実、パッションフルーツ」と書いてあるのを見かけましたが、あれは勘違いです。パッションフルーツの花は十字架の形で真ん中のオシベがイバラの冠を思わせることにちなんだ名前です。
欧米で上演される「パッション・プレイ(Passion play)」を情熱的なラブロマンスと期待して見に行ったらとんでもなく失望することでしょう。キリストの受難劇のことだからです。
パトスが「苦しみ」ですから、patientは苦しむ人、すなわち患者のことで、苦しみを耐えることがpatience(忍耐)となるわけです。
苦しみは、自分の痛みからくるとは限りません。他人であれ他の生きものであれ、苦しんでいる姿に接するとき、見るものもこころが痛みます。身体的苦痛ではありませんが、スピリチュアル・ペインを感じるわけです。それがわが子のことともなれば親としては自分の場合以上に苦しいものです。人は他者の痛みを身体的に引き受けることはできなくても、こころにおいて共有できるのです。
痛み、苦しみにおいて互いに固く結びつき、それを共に担うことで重荷が軽くなり癒されるきっかけとなり得るのです。「わかちあえば喜びは二倍に、苦しみは半分に」という言葉には真実があります。
苦しみを共にすること、それを英語ではコンパッション(compassion)といいます。コム(com)は「共に」、パッション(passion)は「苦しみ」。文字通りには「共苦」ということですが、字引を見ると「憐れみ、愛、慈悲、同情」などと訳されています。