I 障害者の自立と社会参加
1. 社会参加におけるアクセスの重要性
車いすや杖をついて街へ出ていくことは初めてのときはもちろん、何度もくり返している人にとっても緊張するものです。すべての駅がアクセス化されているわけではありませんから、降りる駅では駅員が待っていてくれて電車から降りるときに手伝ってもらえるだろうか、それとも連絡しておいたのに忘れて来てくれず、乗客に手伝ってもらわなくては乗り過ごしてしまうのではないかという不安もあります。時には不機嫌な乗客や駅員に会うこともありますが、大抵は親切で気持ちのよい応対をされ、次もまた出てこようと勇気を与えられます。
障害者にとって、毎日家から出て社会参加の場に出ていくことはより重要なことです。社会経験をあらゆる場で増やしていくことが、対等な関係をりあげていく元になります。外出をして勇気を与えられて帰宅すると、次には仕事や勉強のために日常的に外出していくことが可能になります。
20年前には車いすで電車に乗ろうとすると迷惑だから来るなと言われました。当時駅にエレベーターをつけて車いすの人や高齢者も乗りやすくしてほしいと要望書を出しましたが、年に何人も乗らない少数者のために高額のエレベーターをつける余裕はないと却下されました。この頃、電動車いすで毎日電車で通っていた仲間は、駅員に今度来たら階段から落とすぞ、と脅かされたこともありました。
7年前に別の私鉄の駅の改築が行われるときにエレベーターをつけてほしいと要望したときには1週間の署名運動で改築計画が変更されエレベーターがつくことになりました。今では、この駅の職員と障害者達が当時を振り返り飲み会を開いています。
近ごろでは、この街に降りた障害者も健常者も駅員や街の人たちの障害者に対する目がやさしいといいます。駅員は車いすの乗客を当然のように介助しますし、商店では店員が障害を持つ客の言う品を棚から取ったり、おつりを小銭入に返したり、そんなことがごく自然に行われているのでそう言うのでしょう。こうなるまでには20年以上の歳月がかかっています。その活動の中心を担ってきたのがDPI (障害者インターナショナル)です。
2. 日本国内のアクセス問題と当事者運動
1982年、DPI世界会議は障害者自身の声を代表する世界組識を作ろうということで、シンガポールで第1回の会議を行いました。その加盟国は瞬く間に広がり、現在では世界150カ国に達しています。国連の社会経済委員会等の諮問機関である人権委員会での活動や障害基準規則の策定、国連障害者の10年、アジア障害者の10年などはDPIの活動抜きには語れないまでになっています。