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貝塚市消防本部(大阪)

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今回は、大阪府の貝塚市消防本部を取材した。

貝塚市は、大阪府の南部、泉南地区に位置している。「ちぬの海」と呼ばれる大阪の海に白砂青松がまぶしい「二色の浜」や、本州南限圏のブナ林を育む「和泉葛城山」など、温暖な気候と共に豊かな自然に恵まれている。

ところで、貝塚と言えば、貝殻の塚として縄文時代の遺跡を指す。ここ貝塚市の地名は、元々「海塚」の字が使われていた。本市域では、未だ貝塚遺跡が見つかっていない。したがって市名のいわれについて、確証のある説がないそうだ。

この地域は一六世紀後半、願泉寺を中心に発展し形成された。環濠城塞都市の寺内町を中心に栄えた都市で、一五八二年、豊臣秀吉から願泉寺を中心に広大な寺域を与えられた。全国でも代表的な寺内集落が形成され、現在に至っている。今もその町並みは残されており、独特の風情を醸し出している。

産業は、織物業を中心に、ワイヤーロープ製造、伝統工芸品の欄間や唐木指物、和泉櫛等がある。繊維工業では、バレーボールの「東洋の魔女」を輩出した日紡を前身に、Vリーグで活躍した強豪チームを擁するユニチカ貝塚が有名。しかし、チームは昨年解散、選手は他チームへ移籍してしまった。

消防本部は昭和二三年、単独消防本部として発足。組織の拡張、整備を重ね現在一本部・一署・二出張所、消防長以下八一名の消防職員と二四三名の消防団員が一致協力し、管内四三・九六km2、人口約八万八千人の安全と文化や風情を見守り、消防防災態勢の充実強化を図っている。

★カーペット加工工場の大規模火災

平成一一年三月に発生したカーペット加工工場の火災は、約四、八一一m2を焼損した。工場はボーリング場を改装した、防火区画もない複雑な建物だった。製品を各階及び階段部分に積み上げていたため、一階で出火した火災が一気に拡大した。さらに、のり付け加工のため高圧タンク貯蔵所にLPG(四t)を保有していた。輻射熱によるタンクの爆発危険が高まったため、付近住民を一時避難させると共に、府道和泉泉南線を約五時間通行止めにした。署のポンプ車等一七台、署員七三名、団のポンプ車五台、団員一〇一名が懸命の消火活動を行い、八時間三三分後に消火鎮圧した。

★力をいれる火災予防PR

毎年春の全国火災予防運動期間中に、当市に深く関係する方に一日消防長を依頼している。昨年は、ユニチカバレー部のエース熊前知加子さんにお願いした。この時には、まさかユニチカバレー部が解散するとは思わず、最後の良い記念になった。

当本部の名物として、署員の手作りによるミニ消防車がある。これは、貝塚市自治体消防発足五〇周年を記念して作成したもの。火災予防協会の協力で、レジャー施設から中古のゴルフカートを譲り受け、可搬式ポンプを登載した。時速二〇kmで走行、二口同時放水が可能で、赤色灯やサイレンも取り付けてある。『より本物に近いもの』を目標に平成一一年二月から約八ヶ月かけて完成させた。出初式を始め、各種催しや、幼・少年消防クラブの行事で活躍している。

★地方自治の原点は消防!

高浦消防長は「職員一人一人が目的意識を持ってほしい。地方自治の原点は消防防災にあるという認識を持ち、複雑多様化する災害等に、迅速且つ的確に対応していくことが必要である。そのためには、知識の習得や技術の錬磨だけでなく、明るく活力にあふれ創造性豊かな職場環境づくりが大切だ。」

「職員とのコミュニケーションを大切にしている。さらに、職員相互の思いやりと緊密な連携のもと、広い視野と人のつながりを大切にしながら、強い消防を目指している。厳しき中にも家庭的な和のある、均整のとれた職場づくりに努力している。」と語った。

(佐伯英夫)

 

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熊前選手の一日消防庁

 

 

 

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