最終日の10月26日(木)は、AG(Advisory Group)会議が開催されました。AG会議は、委員会の調整、計画、運営等について議長あるいはSecretariatを支援するためのものでありますが、今回のAGではTC 8の活動状況を関係の多くの人に理解してもらうため、ISO/TC 8 News Letter等の有効な資料を利用して幅広く広報しようということが決議される等4つの決議が採択されました。
以上、今回のTC 8グダンスク会議の概要を報告させていただきましたが、以下グダンスクについて若干触れさせていただきます。
グダンスクはバルト海の沿岸に位置する港湾都市です。歴史的に古い都市であり、997年にはすでにポーランド領として文献にその名が記されているとのことで、1997年には建都1000周年を迎え盛大なお祝いを行ったとのことでした。街を歩いてみると中世を彷佛とさせる古色蒼然たる街並みがあちこちにあり、歴史の重さがひしひしと伝わってくる街でした。
グダンスクは昔から琥珀の産地として名高く、また13〜14世紀にはハンザ同盟の一員として繁栄を誇っていたそうです。20世紀には、バルト海の要衝になっているところからまず最初にナチス・ドイツ軍の標的になり、1939年9月1日ドイツ軍がグダンスク北方のヴェステルプラッテ(Westerplatte)に奇襲をかけ、これが第2次世界大戦の勃発につながり、独ソの激戦地となったグダンスクは市街地の90%が破壊されて焦土と化してしまったそうです。
戦後、街を復元しようという市民の熱意と努力が実を結んで、今では訪れる旅行者を中世の面影の中へと誘ってくれています。グダンスクということで私にとって最も馴染みがあったのは、新聞紙上等によるものですが、ワレサ氏(前大統領)が1980年8月に連帯を結成し、自由を求めて立ち上がったレーニン造船所のことですが、この造船所は今ではグダンスク造船所と名前は変わっておりましたが、会議の行われたCTOからは歩いて10分とかからないすぐ近くにありました。
造船所の正門前には「連帯」記念碑が建っておりました。この碑は「連帯」が政府の弾圧を受けたときそれに抵抗して命を落とした労働者たちの霊を弔うために建てられたものだそうです。記念碑のそばにある石碑には日本からのものもありました。
以上、大変簡単な概要報告でございますが、詳しくはグダンスク会議報告書を作成いたしますので、そちらを参考にしていただければ幸いです。