人の役に立ちたいというのは人間、本能的にあるわけです。たとえ肉体的にはまったく動けなくても、少なくとも精神的にだけは尊厳を持って暮らしていけるように助ける。本人が少しでも自立して、やれることの喜びを感じられるように。ようやくこのごろ、本人の自立こそが一番大切だと理解されてきましたが、まだまだ手を常に差し伸べるのがやさしい人だというのは強いですからね。
松山 まさにそうです。最近の若い子たちの仕事ぶりを見ていても、もう本当に心からのやさしい気持ちで手を出し続けて疲れてしまう。「一本の手」の映画でも、二本の手を出しちゃだめだよ、一本は自分のために残しておきなさいということを言ったわけです。でも老人に手を握られてありがとうなんて言われると、もううれしくて両手を差し出しちゃう。そうじゃなくて、もっと組織化しなさいと言うんだけどだめなんだなあ。
堀田 若い子でも本当に情熱を持って、高齢者介護の現場でがんばっている子たちも多いですが、時として限界まで自分を捨ててやってしまうから疲れ果ててしまうんですね。
松山 友達が一九八九年に介護福祉士の専門学校を作ったとき、試験は一切やらずに、なぜこの学校に入りたいですか、という作文一本で募集したんです。一三〇人ほどですかね。おばあちゃん、おじいちゃんがこういうふうに死にました、兄弟がこうでした、だからここで介護を勉強したいんだと、涙ぐましいストーリーがいっぱいあった。ですからぼくは若者には絶望していないし、希望を持っているんです。いろいろ大変なことがあってもそれを乗り越えて進んでいくほどの力を持った若者たちによって、グループホームも新しく塗り替えていくことができるはずだと。
栗山 そうですね。今度の映画でも、ぼくらスタッフ仲間で、四〇代、五〇代にならないとわからないだろうなあとか言いながら作ってたんですが、実際に試写してみると二〇代の女の子が泣いているんですよ。