「実は、担当のヘルパーに言えずにこっちに苦情が入ったんです」「どういうことですか?」「食事介助らしいのですが、行くたびに“何食いだいのが、わがらねげば作らんにゃえべす!”って言われると言うのです。そこは男の親子なものだから、かえってヘルパーの来る日は気が重くなって困り果ててのお電話だったんですよ」
残念なことに、というか運良くというか、かかわりのないお宅だったので担当者といろいろとお話ししたのですが、苦情は何件と来ているといいます。確認するにもどこの業者が、どこの団体が動いているのかわからず、当会へまず一報とのことでした。
何はともあれ、そういった“心”ない活動とは対照的に訪問されるのを心待ちにしてもらえるということは、本当にありがたいことです。
苦情がしっかり解決されているのか、ちょっと心配です。
ある日の車中にて思ったこと
高橋寿夫さん 65歳
埼玉県
6月号のふれあいボランティア考「譲られボランティア」を読んで思ったこと。私、今65歳。電車に乗り、目の前に老人席なるものがあると座らずに立っていた。しかしよく考えると自分も65歳、老人である。老人席へ座る人間なのだ。まず自分自身の意識改革が必要だ、俺は老人だと。
いろんな改革があるものですね。
6月号対談を読んで1]
にぼしさん 23歳
東京都
「痴呆になっても人間性は決して失われない」は衝撃的でした。人の目を気にせず、素直に人の手を借りても愛情を持って少しでも人生を楽しく過ごすために、一つ一つ問題を前向きに解決していかれる様子に心を打たれました。
内藤さんが身を挺して残されたアドバイスが、あなたの心を打ったことを、内藤さんと共に喜んでいます。