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大谷英人

 

今日のテーマを見ていただきたいと思います。

川村さんから内田さん、水野さん、木下さんという順になっています。川村さんは<山→まち・川→海>、そして内田さんは<まち→山・川→海>とつながり、水野さんは<海→陸>、木下さんは<海←→川>というサブ的な関係があります。

また、先程の田島さんのお話が途中で終わってしまって残念な方もいらっしゃると思います。皆さんから10分くらいずつ報告をいただいた後、議論をしたいと思います。そして、時間があれば田島さんの話を少し追加していただければと思います。

それでは最初に川村さん、よろしくお願いします。

 

(川村) 木星会の川村と申します。先程のお話にもありましたが、偽りの写真は私のことです。プロフィールには、10年くらい前に撮った、気に入った写真を使っています。

田島さんのお話を聞きながら、昔のことを思い出していました。私も小さい時、川で一生懸命に遊びました。その頃の大川村の人口は4千ちょっとくらいいたと思います。それから47年に白滝の鉱山が閉山をしたことと早明浦ダムができたことで人口が急激に減りまして、最近の国勢調査では569名と、高知県の中で一番人口の少ない村になっています。

これはどういうことかといいますと、これから話していきます山の部分において、それだけ山を手入れしていく人が減ってきたということになります。

また、私は林業関係プラス木工をやっていますが、外材が入ってきて、日本の国産材、スギやヒノキがほとんど売れない、売っても価格が山もとに返ってこない状態に今なっています。木材価格も昔から考えてそれほど上がっている状態ではないのですが、木を切ったりする方の賃金が上がったために、山を切っても全然収益が上がらない、間伐などをやってもそれだけの手間費用が出ないという状況です。

そういうことになってくるとどうなるかといいますと、だんだん山が荒れてきて、その症状が川などに出てきます。平成6年には、全国的なニュースになりましたが、早明浦ダムが渇水し、大川村の旧役場が出てきたとニュースになりました。

 

では、ここで早速○×をやりたいと思います。

 

6] 平成6年に早明浦ダムの中から大川村の旧庁舎が出てきたことを実際に見た方、テレビや新聞などで見られた方は○、見たことがない方は×を上げてください。

 

たくさんの方が見られていますね。この事は大きな問題になりました。

私たちは約16年くらい前、昭和59年に、山の木が売れない、廃材がたくさん出てくる、それを何とか山の方に返していければ山が活性できるのではないかということで、木星会というグループを立ち上げて活動を始めました。今は山も少しはごみがなくなり、曲がった木や間伐材をうちで買いますので、前よりも少しはよくなったと思っています。

 

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川村純史

 

 

 

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