本日は海洋汚染防止推進シンポジウムが開催されるにあたりまして、地元市長として心から御礼申し上げます。まさにこの日本一の海浜を目指そうと、海と浜をごみのない町にしようということで、4年前に市長に就任いたしました。そういうことからいたしましても、まだ何もできないもどかしさを感じておりますだけに、本当にこの会が今日開催されましたことを心から感謝申し上げます。
昭和47年9月、日中国交回復が果たされました。日本と中国、これから友好提携を結ぼうということで、田中角栄首相と周恩来首相の間で日中友好が開始されました。その1年後の昭和48年9月に全国への呼びかけがありまして、若い皆さん方、船で中国へ行きませんかということで、実は500人の団員の募集がありました。それに実は参加させていただきました。そういうことで行きましたら、中国では大変な歓迎を受けたわけであります。その当時は四人組体制の時代でありました。私自身は非常にあの四人組に感謝していることが一つあります。それは何かといいますと、中国へ行きましたらタバコのポイ捨てをしたらすぐ逮捕される。そしてごみを捨てたらすぐ官憲が来て摘発されるという話で、一種の恐怖を感じながら実はその行程を消化いたしました。6泊7日ということで、船で上海へ、そして天津から北京、これは列車で行きましたが、大変な歓迎を受けました。町を歩きましてもごみ一つない。これは大変な驚愕でありました。
そういう中でその後中国は大変な政変がありまして、1980年代、讃?紳寮??領?掘∈?發辰討困辰罰???廚?圓錣譴討い襦?海貅?里六笋鷲床舛靴討?蠅泙垢?∋椎阿忙廚い泙垢里蓮?羚颪悗修譴??回参りましたが、年を追うごとに汚くなっている。もう路面はごみだらけという状態であります。そんな光景を目にしまして、私はそれからは結局ごみを捨てたら地球が泣く、海に捨てたら海が泣く、そういうことを非常に強く実感するようになりまして、実は一人で実践をしてきているところであります。
そういうことで何がきっかけになるか。これは押しつけができないというところはありますが、やはり地球を大事にする、海を大事にするということではないかと思います。後ほど弥栄の三浦さんからもお話がありますが、農村の弥栄一帯もこの日本海の海の恩恵を受けている、それが結局上空に上がって水蒸気となり、雨になって弥栄の山林を潤している、そういうことも実は今お話になっておりましたが、そのような会がこうして本日行われまして、さらに一人でも多くの方が賛同して輪が広がることを期待しているところであります。
どうか本日のシンポジウムが実り多いものになりますことを心から祈念いたし、ご挨拶といたします。本日はありがとうございます。