進水が近づくとスベリ台を敷き始めますが、ただ並べてつなげばよい、といったものではありません。細かな計算をして傾斜や上面の反りなどを決めます。また塗る油は動物の脂を調合したものですが、スキーのワックスと同じで、予想が外れるとうまくすべり出しません。
羊蹄(ようてい)丸IIにとって今ひとつの気がかりは、進水する水面が川で狭いことです。すべり降りた勢いで、かなりのスピードのまま対岸まで行ってしまったら…。そこでブレーキを付けることにしました。ブレーキはスベリ台両わきの水辺に置いた2組の重り。重りはひと組の重さが25トンの鎖です。浮くと同時に船に付けた135メートルのワイヤーでこの重りを引かせ、次第に船の動きをとめようというものです。
当日になると、いよいよ進水の準備作業が開始されます。船底を支えている盤木を外し、四方の支柱をとり除きながら、長い時間をかけて少しずつ船の重量を“お化けスキー”の木台に移していきます。そしてすべり止め安全装置と最後の止め金さえ外せば、いつでもすべり出せる状態にして、式の開始を待ちます。
式の始まるまでのわずかな時間でも、担当者たちは再度船底検査を行い、作業手順を示す信号の予行をくり返します。いくら念を入れても、入れ過ぎるということはありません。こうして祈りにも似た気持ちで待つうちに来賓が到着。いよいよ『進水式』が始まります。
船名の由来は?
『進水式』は、また『命名式』でもあります。
船は名前を付けること、そしてそれを見やすいところへ表示することが義務付けられています。
津軽(つがる)丸II型の名前は一般から募集されました。第4068番船は、蝦夷富士と呼ばれる北海道の羊蹄山にちなんで「羊蹄丸」と名付けられました。2代目の誕生です。文中、船名の後ろの数字IIは仮に付けたもので、2代目を表します。
羊蹄丸IIの名前は、船首と船尾の両側面に、船首から船尾に向かって書かれています。右側面は「右書き」、左側面は「左書き」です。船尾の名前の下の「東京」は、船の本籍地である船籍港です。
就航当時は、ひと文字ずつ切り抜いた真鍮板で美しくかがやいていましたが、手入れが大変なため、いつしかペイントで塗られてしまいました。
船体の色にも訳がある?!
羊蹄丸IIの進水式には、「記念絵ハガキ」が参観者や関係先に配布されました。進水式当日の船は水に浮かぶ状態になっただけで、まだ完成したわけではありません。絵ハガキはその完成した姿を想像して描かれています。この絵を見ますと、羊蹄丸IIの船体の色は「緑色」になっていました。
一方、「フローティングパビリオン・羊蹄丸」に展示されている模型は、完成当時の姿ですが「エンジ色」に変わっています。
羊蹄丸IIはシリーズで建造された津軽丸II型の最後の船でした(その後十和田(とわだ)丸IIが追加建造されましたが)。