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さまざまな弁才船(べざいせん)
今日、千石船と俗称される弁才船は、中世末期から瀬戸内海を中心に発達した商船で、江戸時代前期以降、国内海運の主役として活躍しました。
弁才船は、細かく見てゆくとさまざまです。例えば大坂から江戸に日用雑貨を運んだ菱垣廻船(ひがきかいせん)は、胴(どう)の間(ま)に荷物を山積みするために舷側(げんそく)の垣立(かきたつ)が高く、菱垣廻船から分離独立して酒荷を主に運ぶようになった樽廻船(たるかいせん)は重い酒樽を船倉に積むため船体が深くなっているといった具合です。また、地方的な特色のある弁才船も多く、北前船(きたまえぶね)(北前型弁才船)はその代表です。
明治時代になると、洋式帆船の影響を受けて折衷化(せっちゅうか)した弁才船が登場します。いわゆる合(あい)の子(こ)船と呼ばれた船で、こうして弁才船はその後も活躍を続けました。