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No.16/36

 

船と港II

 

1. 東京港への変遷(へんせん)−江戸前の海の歴史

東京港の前身である江戸湊(みなと)は、江戸庶民に必要な消費物資の流通拠点(きょてん)として近世海運史上重要な役割を果たしました。幕末期、鎖国を解き開国した際、神奈川をはじめ国内5港が開港されましたが、江戸は開港されることなく、近代貿易港としての新しい発展の機会が失われていましたが、その後隅田川河口改良工事として、水路の浚渫とその浚渫土砂による月島(つきしま)や芝浦(しばうら)の埋立(うめたて)造成が進められました。大正12年(1923)、関東大震災を機に本格的埠頭(ふとう)の建設が急遽(きゅうきょ)実施され、大正14年(1925)東京港最初の接岸(せつがん)施設−日(ひ)の出(で)桟橋(さんばし)が完成しました。以後、芝浦埠頭、竹芝(たけしば)埠頭が相次いで竣工し、東京港はようやく近代港としての歩を開始し、昭和16年(1941)5月20日、ついに念願の開港が実現しました。しかし、間もなく日本は第二次世界大戦に突入し、東京港の本来の港湾機能は戦後の進駐軍による接収期間も含めほとんど停止状態になりました。昭和24年(1949)、東京港修築5ヶ年計画が実施され、豊洲(とよす)石炭埠頭や晴海(はるみ)埠頭など戦後の主要な埠頭が相次いで着工されました。昭和40年代に入ると世界的なコンテナ輸送革命の波が湧き起こり、東京港はいち早くコンテナ化への対応に取り組みました。昭和49年(1974)9月、日本で初めてのフルコンテナ船“箱根丸(はこねまる)”が品川埠頭に入港し、東京港はこのときから外貿定期航路を有する国際貿易港として大きく飛躍することになりました。東京港ではその後も物資別専門埠頭やフェリー埠頭など、時代の新しい要望に応える最新鋭の港湾施設を積極的に整備し、首都圏・東日本全域に及ぶ物資流通の合理化・効率化に貢献してきました。

 

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「東京湾開港 昭和十六年五月二十日」

 

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昔の東京港埠頭風景

 

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