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私はとても勇気がわいて、事業家の道を歩き出した次第で、梅岩先生が私に与えてくれたものには計り知れないものがある。現在の社会は、経済をぬきにしては成り立たない。梅岩先生の時代に比べ、経済規模は数百倍も大きくなっている。その経済を動かし、担っている企業人に課せられた倫理・道徳観は、社会でもっとも規範になるべきであるが、それにもとる企業人が時おり出るのはとても悲しいことである」と述べた。

また、「これまでの大量生産、大量消費、使い捨てを改め、梅岩先生が説いた"足るを知る"という考えを入れた新しい経済システムを考えねばならない」と、企業人としての気持ちを述べた。

上田氏はつぎに、修正舎の理事をつとめる小谷氏に対して、「生活の中に、心学をいかに生かすべきか」について発言を求めた。

小谷氏は、「祖父が心学に非常に傾倒していて、病床にあっても、私たち三人の孫を身近に呼んで、石門心学の話をしてくれた。当時私は小学校の低学年で理解力はなかったが、祖父の講義は十数回つづいた。祖父は、"倹約をし、正直で、よく働かねばいかん"と、子供にもわかる例をあげて話してくれた。十数人いた番頭や丁稚にも、夜には、近くの修正舎で学ばせていた。

梅岩先生の偉いところは努力である。亀岡から京都に出て来て独学で新しい哲学をつくりあげた勘平さんの努力は素晴しかったと思う。ただ一人、小栗了雲という師にめぐりあうが、その師も四年後には亡くなった」と述べ、つぎに、梅岩のエピソードをつぎつぎと紹介して、その人となりを紹介した。

小谷氏はさらに、「今、なぜ梅岩か」をふまえ、「商人の道」について次のように述べた。「梅岩は、"今の世の中は、大飲、飽食、怠けて逸居する事を生きがいとなす"と言っている。これでは禽獣に近い。そこで私は、"人の道を説いた"と言っている。また"商人の道"については、"商人の道を知らざる者は、むさぼることをつとめて家をつぶす"と言っている。商人の道を知れば、欲心を離れ、仁の心をもってつとめ、道にかない盛えていくものである。

私は個人商店の後継者として四代目であるが、父も祖父も私に"利益をこれだけあげろ"とは言わなかった。とにかく、一生懸命働け。働くのが商人の道である。そして、先も立ち我も立つようにしなければいけないと言っていた。そういった先祖からの教えの結びとして、"自ら律する"ということから"自律"という言葉をつかっている。これは、自らを律し守っていくということで、"自律資本主義社会"ということばである。これは、自分で自分の道をつくり、それを守っていく資本主義ということである」と。

上田氏は、「"心学"とは後の人が梅岩の教えに対して言ったことで、梅岩自身は言っていない。しかし、"心の発明"ということを盛んに言っている。普通我々は物の発明を思うが、梅岩の"心の発明"とは心の本質を知る事だと思う。今後梅岩の教えを生かすには、過去盛んであった心学がなぜ衰退したかが問題である。その点も含め、先ほどの話のつづきを話してほしい」と稲盛氏に促した。

稲盛氏は、「先ほど、商人はいやしいという話が出た。しかしたしかに、商人は、商才で社会から利益をかすめ取ることができる。

 

 

 

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