倫理的生活についての梅岩の解釈に固有なのは精神的な大きさであり、これを梅岩は孟子から引用した明確なことば「性を知る」あるいは「放心を求む」と表現しています。梅岩にとって重要なことは、単に生き残るとか、富と力を永遠に追い求めるということではなく、人生にはより大きな意味があるということでした。梅岩はこの大きな意味の源を儒教だけでなく仏教や神道の中に見い出しました。
梅岩が一番懸念していたのは、今日のアメリカの若者にとって最も問題になっていることのように思えます。そして日本の場合も同じなのではないかと思うのです。それは、私たちが満足感を感じられる他人との関係を通じて得られる、大きな意味と理解の意識です。私が言いたいのは、増大する経済的圧力の世界の中で私たちがどんな社会に住みたいかを考える時、石田梅岩のような人物から学ぶべきところがまだ多くあるということなのです。
最後にどの国が「ナンバーワン」であるかという概念がいかに早く変るかという点を指摘したいと思います。すでにお話しましたが、21世紀には日本がナンバーワンの国になり、アメリカは日本に追いつくために日本の真似をしなければならないだろうという説が1985年に出ています。しかし今日アメリカはまたナンバーワンとなっているようであり、他のすべての国々はアメリカを真似るように言われています。しかし、日本が1980年代末につまずいたように、そう遠くない将来アメリカもつまずく可能性があるのです。21世紀に成功する社会のモデルはありません。それぞれの社会が自分の道を探さなければなりません。しかし、それぞれの国は偉大で普遍的な宗教的伝統が持つ倫理的、精神的源泉に頼るとよいでしょう。この意味において、日本でよい社会を探し求める上で心学はまだ発言権があると思います。