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この点についても是非御所見を伺えればありがたいと思います。

伊藤憲一(進行司会者) 畑さん、ありがとうございました。私も、確かに「無自覚である日本」という点は重要なのではないかと思ってお話を伺っていたのですが、無自覚といえば、何が無自覚かというと、「実は日本こそアメリカ、西ヨーロッパとともに近代文明の極限状況にいる国である。したがって、近代文明のいろいろな破綻であるとか矛盾であるとかを一番肌身に感じているのは、ヨーロッパであり、アメリカであるとともに、日本なのである」ということに無自覚なのだと思うのです。そういう目で見ると、今、日本国内でもいろいろな閉塞状況の中で、改革しなければいけない、改革しなければならないと言っているのですが、これをアメリカから押しつけられたグローバリゼーションというような形で受けとめるのではなくて、自分自身の発想で独自の解決策を打ち出していくということができれば、日本はほんとうに今度こそ「超近代」という段階において世界のトップを走るランナーになれるのではないか、と思うのです。

日本のアイデンティティについて、太田さんは2つ手がかりを与えてくれたわけですが、1つは「海洋国家」、1つは「非西欧で最初に近代化した国」ということなのですが、これは、私は、1つの同じことの両面という説明が可能だと思うのです。それはどういうことかというと、海というのは2つの相反する役割を果たすのです。1つは橋であり、道であって、外に国を開いてくれるのだけれども、役割が変わると、これは日本を外から遮断する溝になるわけです。日本というのは、戦国時代くらいまででもう中世が終わって、江戸時代は近世であり、明治以降は近代に入ってきたというのが一般的な歴史認識だと思うのですが、近世の日本というのは、海が日本を外から隔てるという鎖国の環境の中で日本的なものを発展させたわけです。逆に明治以降は、海を通じて世界と交流するということで近代化を進めてきたわけです。

ですから、その結果として、日本の近代化というのはその独自性を保ったものになったわけですが、このことを「超近代」の我々の抱えている状況に翻訳すると、「超近代」つまり21世紀における海洋国家日本というのは、もちろんそのときの「海洋」というのは単なる物理的な意味の「海洋」だけではなくて、まさにインターネットに象徴されるような「情報時代の海」なわけですけれども、多分、その情報というものを選択的に使うというところが、日本のこれまで2,000年あるいは3,000年の歩みの強みだったわけで、「開く」一方だと、ただ、外部世界に押し流されたり、同調したりすることで終わっちゃうわけですが、日本人はスイッチをしょっちゅう切りかえながら、必要なときは「シャット・アウト」して、独自のいき方を模索してきたわけです。

 

 

 

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