3) 架橋による産業への効果・影響について
(漁業)
生月町はまき網漁業を中心とした漁業が基幹産業であるが、まき網漁業の水揚げに関しては、架橋前から直接、松浦、唐津、福岡、阿久根等の本土に輸送船によって出荷していたので、出荷体制に変化はない。
沿岸漁業に関しては、生月に水揚げしていたので、フェリーによる本土輸送から橋を利用した陸送に変わり、安定性の確保、出荷時間の短縮、出荷圏域の拡大、物流コストの低減が図られ、計画出荷が可能になった。
(農業)
生月町の農業は肉用牛の生産、稲作等が中心であり、架橋による農業の活性化を期待したが、生産額自体はさほど伸びていない。その要因は、生月町の農業は兼業農家が多くを占め、まき網漁業の定年退職後の老齢男子労働力と女子労働者に依存しているのが一般的なパターンであり、労働力構成がぜい弱なことにある。
架橋後、農業でよくなった部分は施設野菜で、架橋前の生産額は1千万円程度だったものが、架橋後は3〜4千万円に増加した。これは、女性や高齢者による収穫作業を考えると、軽量野菜への切り換えがよいのではないかと、町とも相談して進め、研修会を開催してきた効果と考えられる。
(商工業)
架橋前には120軒あった小売業者のうち、架橋後に10軒が廃業している。そのうち2〜3千万の売り上げがあった中堅の3軒も含まれている。これは、売り上げの減少だけでなく後継者不足も要因の一つである。
生月町における商品別地元購入率の推移をみると、平成3年の架橋後から島内での購入の減少が顕著に現れている。
生月町では、広い駐車場を整備したスーパー形式の民間の共同店舗(食料品、花屋、医薬品、衣料品、クリーニング、100円ショップ等)が1件新たに立地し、主に自家用車による買い物客を集めている。
(観光)
生月町への観光客は架橋前の平成2年は約4万5千人であったのが、架橋年の平成3年は約34万人、平成4年は54万6千人と10倍以上の伸びを示し、近年は40万人台を推移している。入り込み客は平戸への観光客が足を延ばすというパターンがほとんどで、平成7年の観光客数約43万2千人のうち、日帰り客は41万8千人(96.8%)で、延宿泊客数は約1万4千人(3.3%)、宿泊客実数は約6千人と少ない。
PR策としては、県内及び福岡で町の観光案内をテレビの30秒スポットで流したり、福岡の雑誌記者を招待し、記事を書いてもらったりしている。また、民間レベルでは平戸市、田平町の観光協会と合同で観光パンフレットを作成したり、福岡、佐賀などへ合同の宣伝隊を組んでPR活動を行っている。