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この中で重松流の囃子がほとんどの行政区でも指定されていることに気づく。幕末から明治期にかけて神田囃子系の江戸囃子が改良され新しいテンポの新囃子が生まれるが、この重松流もそのひとつで、所沢に住む古谷重松が創始したところからこの名となった。その後周辺の地域に広がったものである。

(3)文化財のもつ歴史

各自治体ごとの指定文化財をみてきたが、ここであらためてこれらの文化財を狭山丘陵という視点から考えてみよう。各自治体は、それぞれの文化財に独自に価値観をもって指定などを行い、文化財を守っている。それを狭山丘陵というエリアで見てみるならば、あらためてその基準が必要となってくる。同一の文化財であってもその価値・意味などが違うかも知れないが、ここでは、「狭山丘陵での里山文化を形成する生活と景観」という基準で文化財を捉えてみたい。

では、狭山丘陵の歴史を語る案内役として「文化財」を選び、「狭山丘陵での里山文化を形成する生活と景観」という視点で語ってもらおう。

埋蔵文化財の章でも書かれているとおり、人が生活してゆくためには、「水」の確保が何よりも優先された。縄文時代より武蔵野台地に浮かぶ小島のような狭山丘陵に居を構え、今でも谷戸、谷津、谷地などの名がつく地名が多く残っているが、人々はこのような丘陵の谷間や丘陵と台地の境に人々は溜池や河川に堰をつくり簡単な用水を引いて、水田を作り、生活してきた。

中世での地域資料は少ない。その中に中世の時代の精神世界を代表するものとして、板碑がある。この狭山丘陵周辺地域に残る板碑は武蔵型ともいわれ、秩父青石とよばれる緑泥片岩で造られている。指定文化財としては所沢市では、「弥陀一尊種子板石塔婆」「弥陀三尊来迎図蔵板石塔婆」など計3基、入間市では国指定の文化財が1件、市指定の文化財では3基あり、東村山市では国指定が1基、市指定3基、東大和市では市指定2基などがある。現在ではそのほとんどが本来の場所になく寺院に所蔵されるものが多い。ただ中には、入間市円照寺に残る重要文化財「板碑元弘三年五月廿二日道峯禅門在銘 附板碑五基」や東村山市徳蔵寺が所有する重要文化財「元弘三年斎藤盛貞戦死供養塔」などのようにその所在地などが特定できる場合もある。

 

 

 

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