これらの写真を見ても、本町の土台となる地形は、幾つかに分類ができることがわかる。
まず、大きな骨格としての分類は、「平野部」と「台地から山地部」にかけて2つのブロックに大別することが可能である。その境界となるのは、台地の際、つまり東から西へ通る河岸段丘の緑の帯となっている。ただし、河岸段丘の帯は西へ行くほど曖昧になってくるため、それにとって代わる境界としては山裾とみなしてよいと考えられる。
この「平野部」と「台地から山地部」では、土質、地層等にも違いがみられる。
○平野部の土質・地層
・新生代の第四紀に属す沖積層であり、筑後川の働きによって長い間に形成されたものである。
・堆積物は、礫・砂・粘土から構成され、豊富な含水層となっている。地下130〜180mにも砂層があり、その層の厚さが大変厚いことが予測される。
・この平野は基本的に大きな一面の平野、いわゆる両筑平野の一部となるもので、朝倉扇状地と呼ばれ、比較的傾斜に富み、大変肥沃な平野であるといわれている。
○台地部の土質・地層
・台地部は、大半が砂礫台地群であり、一部に扇状段丘が見られる。
・小規模ながら河川が作り出した扇状台地であり、洪積層をなしている。
・新生代の第四紀に属し、沖積層よりも古く、二百万年前より一万年前にできたとされる。
○山地部の土質・地層
・山地部は、地質的に最も古い古生代に属する三郡変成岩といわれるものである。
・大部分が砂質変岩で成っており、一部に泥質黒色片岩と緑色片岩がみられる。