イ のどか村開設までの経緯
南畑地区は、山間部の狭小な谷地田と急傾斜地に散在した畑地の人力主体の耕作で生産性は低く、また大阪市や奈良市などの大都市に近かったため、高度経済成長期は農業の働き手が流出した結果、農業従事者の高齢化や後継者不足が深刻化していた。
昭和50年代半ばから自治会を中心に農地を守り集落を活性化する話し合いを重ねたが、農家の後継者は親が取り組んだような細々とした農業をする自信はないという意見が多く、個別の農家での農地保全がだめなら地区全体で農地を守り、管理活用しようということで「信貴山という観光資源を活用し、都市住民の憩いの場として南畑地区全体で観光農業に取り組もう」という方向性が固まった。
昭和57年南畑自治会から三郷町に対して農業振興地域の指定を要望し、翌年2月に指定を受け、4月には地区の農地所有者全員参加による「南畑農用地利用改善組合」が設置された。昭和61年には後にのどか村となる40haの農地造成が奈良県の農地開発事業によって行われた。この広大な農地の活用を巡ってさらに組合や自治会で議論が重ねられた結果、地区全体が一つになって組織をつくり、新しい農地をまるごと農業公園として管理運営していく構想が浮上した。
昭和62年3月「農業生産法人有限会社信貴山のどか村」が設立された。施設の整備は三郷町が事業主体となり実施、運営面は地元が独立採算かつ主体的な意思をもって運営に責任を持つ農業生産法人が行う。法人形態を有限会社としたのは農業公園としての将来を考えて利潤追求や民主的な組織運営を行うためである。名称については、都会の人々がきて「のどかにいられる場」を提供する、この憩の場に集落の農家他全ての人々が結集することを目標にして「のどか村」と命名された。
平成4年に全ての施設が完成し、平成7年度からは単年度収支も黒字に転換した。「穫・創・食・遊・美」が味わえるファームパークとして都市住民を中心に、家族連れや学校の校外学習、職場の互助会や労働組合のレクリエーション、老人クラブの花見会など各種団体・各層に利用され、関西における都市住民が農業とふれあえる拠点となっていった。
上記のような活動が評価され、平成11年には農林水産省「豊かなむらづくり全国表彰事業、内閣総理大臣賞」を受賞している。