第3章 韓国の地方自治団体とWTO政府調達協定
1 現行地方自治制度の仕組み
(1) 地方自治制度の再開
憲法や地方自治法に謳われていた地方自治は、長い間、現実のものにはなっていなかった。それまで長期にわたり政権の座にいた朴正煕が1979年暗殺に倒れて以降、これも朴と同様、やはり非合法的に実権を掌握し政権を手にした全斗煥大統領の任期後半にいたり、「自治なき地方自治制度」に変化の兆しがみえはじめた。それより前の1980年10月改正の憲法では、「地方議会は地方自治団体の財政自立度を勘案して順次に構成するが、その構成時期は法律で定める」とされていたが、当の「法律」づくりは、1984年11月、政権党を含む主要諸党が地方自治制度の順次再開に合意し、翌年1月、大統領が「1987年に地方自治制を一部地域から実施する」と声明したことにより、ようやく始動することになった。そこで、1985年3月の大統領令により、アドホックの地方自治制実施研究委員会を組織し、それを中心に諸調査・研究を進め、翌年10月に地方自治法改正法律案を国会に提出するにいたった。ついで同年11月には、関係法律案として、地方議会議員選挙法案、地方税法改正法律案、地方交付税法改正法律案、地方財政法改正法律案などを国会に提出した。ところが、これらの法律案は、折しも吹き荒れだした憲法改正論に巻き込まれ、すぐには審議・議決に付されなかった。
1987年10月、大統領の直接公選制(任期5年・1期限り)などを定めた改正憲法が確定した。これにより、その間、ながらく地方議会の構成時期に条件を付していた憲法附則条項は撤廃され、地方自治制度の再開は政治日程にのぼり、1988年4月に地方自治法の全文改正が行なわれ、基礎地方自治団体の議会から順次地方議会を開設することになった。翌月の改正地方自治法の施行は、当然のことながら、地方自治に関する臨時措置法の廃止を伴うものであった。しかしながら、改正地方自治法は、肝心要の地方自治団体の長の選挙については別途に法律で定めるが、その法律で定めるまでは現行通りに官選の国家公務員をあてるとした。これは、政権党が他の諸党の審議ボイコットのもとで強行採決したものである。ところが、政権党は地方自治法改正直後に行なわれた国会議員選挙において過半数確保に失敗し国会運営につまずくようになり、過半数の諸党がさらなる改正を求めるなかで、それでもなお、1961年以降の現状を認められ基礎地方自治団体とされた市郡、および新たに基礎地方自治団体と位置づけられた(自治)区の議会議員選挙は法律に定められた期限にいたるまで行われなかった。
その後、紆余曲折を経たのちの1991年6月、基礎および広域の地方議会議員選挙が、また、1995年6月には、従来の大統領選挙法、国会議員選挙法、地方議会議員選挙法、地方自治団体の長選挙法を一本化して1994年3月に制定した「公職選挙及び不正選挙防止法」に基づいて地方議会議員および地方自治団体の長の選挙が行なわれた。前者は1961年5月解散の地方議会を各地によみがえらせたものであり、また、後者は1960年12月の統一地方選挙から数えておよそ35年ぶりに行なわれた統一地方選挙であった。なお、直接公選で選ぶ長の身分は、それまでの国家公務員から地方公務員にかわった。
(2) 地方自治団体およびその機関の事務
1988年4月に全面改正して以降の地方自治法は、地方白治団体の種類を、それまでの現状を追認するかのように、1]特別市、直轄市(1995年に広域市と改称)、道、2]市、郡、区とした。図表3-1および図表3-2に明らかなように、現在、232基礎自治団体の平均人口は20万人を上回っており、これは他国に類例をみないほど極めて大きい規模になっているが、これを支えているのが、(区)−邑面洞−統里−班と連なる幾層の下部機構にほかならない。
ただ、地方自治団体たる区(=自治区)は特別市および直轄市の管轄区域内にある区にかぎり、自治区の自治権の範囲は法令の定めるところにより市郡と異にすることができるとした。そこで、大統領令の地方自治法施行令第9条において、地方自治団体の人事および教育等に関する事務など市郡に認められる事務の一部を自治区には認めず、これを特別市・広域市の事務としているほか、地方税法では、市郡に最多の税収入をもたらすたばこ消費税をはじめ住民税などを自治区には認めていない。この地方税法規定との関連で、地方自治法第160条では、「特別市長及び広域市長は市税収入中の一定額を確保し条例の定めるところにより当該地方自治団体の管轄区域内の自治区相互間の財源を調整しなければならない」と、市区財政調整を義務づけている。