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第1章 WTO協定と地方公共団体

 

1 はじめに

1995年1月1日にWTO(World Trade Organization:世界貿易機関)が設立され、新しい世界貿易体制が発足した。これは1986年以来行われてきたウルグアイ・ラウンド交渉の成果であるが、わが国においては「世界貿易機関を設立するマラケシュ協定及び同協定の附属書1、2及び3」の締結について第131回国会の承認を得、1994年12月27日に受諾したところである。

この協定の附属書1の中には、地方公共団体にも関係の深い「貿易の技術的障害に関する協定」(以下、スタンダード協定という。)、「貿易に関連する投資措置に関する協定」(以下、TRIM協定という。)、「補助金及び相殺措置に関する協定」(以下、補助金協定という。)及び「サービスの貿易に関する一般協定」(以下、サービス協定という。)が含まれている。

本章においては、WTO協定の設立経緯と構造について概観した後、地方公共団体と関係の深い上記4協定の概要を説明するとともに、地方公共団体の施策がこれらの協定においてどのように評価されるのか事例研究を行うこととする。

なお、WTO協定の附属書4には、地方行政に最も影響のある「政府調達に関する協定」(以下、政府調達協定という。)が含まれているが、同協定については次章に譲ることとする。

 

2 WTO協定の設立経緯と構造

(1) GATTからWTOへ

1994年の4月15日、モロッコの古都マラケシュでの閣僚会議において、ウルグアイ・ラウンド交渉の成果をとりまとめた最終文書が署名され、最終的には日本の他124の国・地域の参加をみた(1)。これにより7年7か月の長きに及ぶウルグアイ・ラウンド交渉が正式に終了した。

ウルグアイ・ラウンドは、1986年9月20日に、南米ウルグアイの保養地プンタ・デル・エステで採択されたプンタ・デル・エステ宣言に基づいて開始された。1947年に生まれたGATT(General Agreement on Tariffs and Trade:関税及び貿易に関する一般協定)の主催する第8回目の多角的貿易交渉としてスタートしたのである。

GATT交渉としては第7回目である東京ラウンドは99か国が参加し、1973年から1979年にかけて開催された。東京ラウンドの成果としては関税の引き下げのみならず、非関税措置に関して幅広い分野にわたる交渉が行われ、補助金協定、政府調達協定をはじめとする国際協定が策定され、多角的自由貿易体制の強化に寄与した。ところが、1978年の第二次石油危機を原因とする保護主義の台頭や、先進国の農業の輸出補助金が途上国の農業に深刻な影響を与えるようになったこと、経済のソフト化・サービス化に伴うサービス貿易の進展、直接投資の拡大、特許などの知的財産権の国際的調整の問題が発生し、これらの課題に対応するため、当初は4年の予定でウルグアイ・ラウンドが開始された。

史上最大の貿易交渉とも言われるウルグアイ・ラウンド交渉は難航し、1988年のカナダ・モントリオールでの中間レビュー閣僚会議、1990年のブラッセルでの閣僚会議を経て、交渉は延長されることになった。それまでの15の交渉グループは7つの交渉グループに再編成されて交渉は再開されたが、その後も難航を極めた。しかし、1993年6月と7月の2回の東京での閣僚会議を経て、アメリカ政府の交渉権限が実質的に切れる同年12月15日を目標として、ジュネーブでの交渉が行われた結果、12月15日に実質的な妥結をみた。

ウルグアイ・ラウンド交渉の成果は、WTO(世界貿易機関)を設立する協定と同協定の附属書という形でとりまとめられた。

戦後の世界経済の発展は自由貿易に負うところが大きく、特にわが国は経済における貿易の比重が大きいため、多角的自由貿易体制はどうしても堅持する必要がある。このような認識からわが国はウルグアイ・ラウンドを提唱し、積極的に推進してきたが、この交渉妥結は世界の自由貿易の発展にとって画期的なことであった。

 

 

 

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