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2 京都市の都心部の状況

(1) 都心部の位置

京都市は、明治22年の市制開始以来、合併を繰り返し、上京と下京の2行政区(約30km2)から、現在、11行政区(約610km2)に至っている。

明治後期、既に市街化していた範囲は、上京、中京、下京、東山の都心4区にほぼ合致する。

その中でも、特に現在、都心とされるのは、東西に御池通、四条通、五条通、南北に河原町通、烏丸通、堀川通の幹線道路を中心とする範囲であり、商業地域に指定されている。

京都では、「元学区」と呼ばれる、明治期に市民が創った番組小学校を中心とする学区が、自治の単位として現在もなお息づいており、前述の幹線道路を中心とする都心を含む元学区は18ある。そこは、職と住が共存し、京都の活力を支えてきたところである。(図の網掛け部)

 

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(2) 職住共存による活力循環構造

京都の職と住が共存する都心部では、多くの人が集まり、交流する中から、産業が生まれ、その産業を生業とする人々の定住が進み、その人々の生活を支える別の産業が形成され、そこに職を求めて、また、新たな人が流入するという、「定住」と「産業」と「空間」がかかわりながら拡充してきた歴史がある。京都の都心部の形成過程を振り返ってみることにする。

<築地塀(ついじべい)に囲まれたまち>

平安建都当初は、大路、小路で区画され築地塀で囲まれた街区により形成されていた。ものづくりや商いといった都市的活動も、主にこうした築地塀に囲まれた街区の中で、地方から徴用された人々によって公家たちのために行われていた。

 

 

 

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