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たとえ外部からの圧力が同様でも、連邦内の州はマネジメントのためにきわめて多種多様な道を採択できる(まさにオーストラリアで起きたことが、これをよく説明している(Halligan and Power, 1992)。これと比較するために、1986年に、中央集権国家イギリスにおけるサッチャー政権が、教義上の理由と行政上の理由から、ある地方自治体に立腹した時にとった行動をもう一度思い出してみよう。同政権は大ロンドン市と首都圏自治区のうち最大規模の6区を、あっさり廃止してしまった(Cochrane, 1993, pp.28-47)。

 

もう一つ、中央集権で権力集中型国家と、連邦国家もしくは中央集権で権力分散型国家との比較の例になりそうなのが、マネジメント改革の‘焦点’である。中央集権で権力集中型の中央政府は、連邦制の中央政府もしくは中央集権で権力分散型国家(こうした国家では、サービスを提供するという機能は、政府のもっと低い階層が担当する)に比べて、サービスを提供するという事業(教育、保健など)により深く関与する傾向がある。このことが、そうした権力集中型国家の改革実行者が、政策の影響と全体的な結果についての戦略的な関心よりも(同時期のオーストラリアのように―Holmes and Shand, 1995)、むしろサービスの特定の出力や結果に焦点を絞る方向に導くかもしれないことを(1980年代後半から1990年代初頭にかけてのニュージーランドのように)示唆してきた。この懸念の裏には、予算編成という重要関心事があるのに気づく―中央政府が、主たる福祉国家サービスを運営する責任を負っている場合社会保障、保健、教育といったものが、全体的な支出一覧表の上位を占めるだろう。公共支出を抑制する圧力が高まる時、財務省がその注意を向けざるを得なくなるのはこれらのサービスに対してである。

 

中央集権国家における広範な分権化の効果は、連邦制の場合と同様となる傾向がある。すなわち、マネジメント改革の‘範囲’が非常に広くなったり、マネジメント改革が、たいへん‘均一=中央集権的’に適用されたりする機会が減少する。漸次行われる改革の方が有望なシナリオになる。本書の言う中央集権国家の中では、フィンランドやスウェーデンは、検討対象となっている時期に高度に分権化が進んだ。ニュージーランドとイギリスは同じ時期に高度に権力が集中したままにとどまった。後者の2ヶ国は、検討対象国の中でもっとも活発で、広範にわたるマネジメント改革を実行した国でもある(だからこそ、本書の分析に適合する)。フランスは興味深い事例である。というのは、1980年代初頭まで、高度の権力集中が見られることで有名だったにもかかわらず、その後連続して構造的分権化に着手し、その効果は充実しており、絶大だった(そのうえ、今でもまだ効果を発揮している)。こうした変化の影響には、中央政府が全公共支出と全税収の双方に持っていた取り分の多少の減少といったことも含まれていたように見える(Steunenberg and Mol, 1997, pp.238-9)。

 

それゆえ、分権化のさまざまな指標が作成できる。中央政府が総公共支出と総税収に持っている取り分は、二つの指標として考えられるであろう。考えられる三番目の指標は、中央政府で働く官吏の割合を、地方政府で働く人の割合との比較において検討することである。本書の10ヶ国を表3.2のような表にまとめることにより、大きな差違が明白になる。

 

いくつかの国は明らかに、他国に比べて「中央が重い」。ニュージーランドは、同国の官吏の90%が中央政府で働いている。フランスとイギリスもまた、この指標で見るとそれぞれ48%、49%と高い数値である。しかしながら、ドイツは同国の公務員のうち中央政府が雇用しているのはわずか12%にすぎないし、北欧諸国もまたきわめて低い(1994年の数字で、フィンランド=25%、スウェーデン=17%である)。

 

 

 

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