日本財団 図書館


囲みBは地球規模の経済力の影響を示している。この力のせいで大規模で圧倒的な影響が起こると指摘する解説者もいる(入門書としてはMcGrew, 1997が優れている)。資本市場の世界化と多国籍企業や国際貿易の成長によって、政府が「自国」の経済政策に行使しうる支配力を弱めたといわれている。したがって、地球規模の金融市場が無分別と見なしている公共支出のレベルを、きわめて長期間にわたって維持することは、中央政府にとってもはや不可能となった(それゆえ、ケーニッッヒは「経済的自由の減退」と言ったのだ)。国際競争の激化もまた、政府に、自国企業の競争可能性に以前に比してはるかに多大な注意を払うことを余儀なくさせた。企業は、高額の租税(高額の公共支出への融資)もしくは圧制的な官僚制度のいずれかにより圧迫されるなら、有効な競争をすることはありそうにない。そのうえ、中央政府もしくは地方自治体は、雇用などの多額の費用がかかり困難な社会問題に取り組む能力において、以前よりも大きな制限を受ける。

 

資本移動と課税競争が激化した結果、中央政府の、資本資産と資本所得に課税する権限は大幅に減退した。同じく名ばかりとなった国家の金融政策は、もはや生産的投資を刺激するために国際レベルを下回るほど利子率を減じることはできないし、国際レベルを上回る税率は、総需要をふくらませるために会計赤字が嵩ませればもっと高くつくようになった。中央政府の、1960年代や1970年代にはまだ効果的だったマクロ経済的マネジメント戦略によって、増加する失業を防ぐ能力は大幅に失われた。かくして、社会政策システムは、完全雇用が続くことを暗黙の前提条件にすればするほど、ますます緊張を強いられるようになった(OECD, 1997c, p.211)。

 

それゆえ、公共部門の改革を求める理由の組み合わせのひとつは、公共支出を抑制すること、官僚制という重荷を軽すること、もはや経済的負担能力の余裕を欠くようになった社会政策を再構築することである(付表Aも参照のこと)。

 

これは非常に強力な主張である。これらは盛大にリハーサルされ、信じられている。しかしながら、本書の趣旨においては、そうした主張の注釈的な力を誇張しないことが大切である。世界規模の経済力は、行政部門の改革の研究を促すうえで重大な背景ファクターだが、その一方改革の正確な形態やタイミング、程度はそうした経済力では決まらない。この論争に根拠を与えるために必要な細目のいくつかは後段にて示すが、ここでもマネジメントの変化のパターンが国によって大幅に異なることを指摘して、世界市場が均一ではないことを示唆することはできる。そのうえ、ある特定の国における、特定の改革のタイミングが経済危機と密接な関係にはないことが多い。1980年代にもっとも経済的に成功した国のいくつかは、少なくともマネジメント改革の分野でも積極的だった国である(とくにドイツや日本)ことに注目すべきである。最後に、とくに言及すべきは、経済的圧力はそれ自体が変質して、直接ある特定のタイプのマネジメント改革になるわけではないということである。改革の実行者は理念―公共部門はいかにしてよりよく組織されうるかについてのモデルやパターン、計画、あるいは展望―を必要とする。市場は、圧力を提供するかもしれないが、理念を提供しない。

 

実際、それ以上の問題は、「グローバリゼーション」が組織の変化に対して支配的かつ決定的な影響力だと言い立てる批評家も含めて、概念自体が漠然としているか、自家撞着に陥っているか、いずれかで展開されることが多いことだ。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION