日本財団 図書館


ペリーとクレイマーの説明に戻るなら、パブリック・マネジメントとは、要するにマネジメント全般(圧倒的に営利・民間部門)と、行政の持つ、より伝統的な関心とを併合したものである。民主主義的価値に対する関心は完全に保持されているが、企業には、リスク引き受け、柔軟性、成果能力測定および目標達成という観点から、もっと決定的な要素が与えられている。このように解釈すれば、パブリック・マネジメントという語は異議を唱えにくいし、実際にあたりさわりがない(Gunn 1987, p.35)。しかしながら、その多くが、この道半ばの概念を生み出すために統合されてきた様々な要素が実際にどの程度の互換性があるのかにかかっている。たとえば、Hood(1991)は、「新しいパブリック・マネジメント」(以下、NPMという)の価値は、伝統的な行政と容易に結合するかどうかという問題を提起した。フードは、実際面ではNPMは「シグマ価値」(明確な目標に適合する効率)にかかる大きな圧力を意味してきたと主張するが、かかる価値が‘実際問題として’実現されたことが妥当な疑義を越えて立証されるとしても、「かかる成功が、誠実さと公正な取引(「「テトラ」価値」)、および/もしくは安全と回復力(「ラムダ」価値)という代償を払うことで買えるかどうかはすべて、探求されるべき課題として残されていると指摘している(Hood, 1991, p.16)また(Hood and Jackson, 1991)もまた参照のこと」。

 

メトカルフとリチャーズによってなされた定義(定義2)は、ペリーとクレイマーの定義とは非常に異なる。メトカルフらの定義は、価値より過程において、なされている。実際、公共部門に特有な、ある特定の過程があり、パブリック・マネジメントの中核をなすのはそれらだというのがその主張である。問題の過程とは、単一の組織ではなく、いくつもの組織のすべての組み合わせを管理し、公的統治システム全体の構造を調整しようと企図する過程である。メトカルフは、その後の論文でこのテーマをふくらませて、以下のように書いている。「パブリック・マネジメントのマクロ的な過程としての革新的任務とは、構造的変化に対処するための、きわめて特徴的な、新しい‘マクロ的組織’能力を開発することである」(Metcalfe, 1993, p.183)

 

これとは対照的に、より低レベルでのパブリック・マネジメントの任務は、「模倣的」―政府のミクロ的組織能力を向上させるための適当な翻案業務やその他のマネジメントがらみの思いつき―であるように見える。これはいくつもの意味で、巧妙な流れの議論である。マネジメント全般についての理念の限界や、どこかが取り組むとすれば、公共部門が取り組まなくてはならない独創的で「高位の」機能の存在に注目させる。これらの機能はまた、新語義の「ガバナンス」を魅了してきたが、この語は時にその使用が放恣に流れるものだし、メトカルフとリチャーズなら、おそらく「ミクロ的組織」に関わる諸問題と見なすだろう、多くの問題のために造られた語である。ゴッディンは、この語を用いる学者が主張する範囲の広さを指摘している(1996年)。すなわち「ガバナンスとは…組織的に見て、社会の中の「見晴らしのきく高み」を管理している官僚による、社会の操縦法に他ならない」のである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION