I はしがき
1990年代に入ってから、文化を考察対象とする研究分野で観光に注目が集まってきた。これは「文化的転回cultural turn」と言われるほど文化研究に注目が集まる中で、近年盛んに議論の遡上に上る「他者」「移動」「空間」の主題がすべて観光現象に関わりがあることによると考えられる。この三つの主題のいずれかの立場から、もしくはこの3つの主題を関係づけながら多様な観光の性質が語られている。
「他者」、とりわけ他者表象の視点からは、サイードのオリエンタリズム批判を発端になされた議論を受けて、近年観光人類学が積極的に観光の研究を進めてきた*1。他者を表象することを生業としてきた文化人類学者の営為をクリティカルに問い直す一方で、観光現象における他者表象が異文化を創りまた変容させてきた過程、そして地元民が外部から与えられた自己のイメージを客体化してアイデンティティを獲得する過程を論じるなど、観光現象を題材に新たな視点を獲得している。また「移動」に着目する視点からは、観光を含めた移動の用語(旅、転位、ノマディズム、エグザイル、ツアー、ディアスポラなど)が、「ポスト〜」という思想(ポストモダン/ポスト構造主義/ポストコロニアル)の影響の下で注目を集め、例えば「旅する文化traveling cultures」*2という表現にあるが如く混成的でダイナミックな文化のフローを描き出すためのレトリックとして(再)発見されている。さらに「旅する理論家」*3というように、国家や家父長制などの様々な大きな物語に回収されない研究者の自己表象として、旅やエグザイルといった個人の移動が語られる中で、その超越的なモダニストの姿勢に対置される集団移動、ポストモダンの現象として観光が語られている*4。
このように盛んに観光が語られる方で、これらの観光の取り扱いは、文化を説明するための題材やレトリックとしてがほとんどで、観光現象そのものの性質の探求は二次的な副産物として単発的に語られてきたという感は否めない。
*1 代表的なものとしては、山下晋司編『観光人類学』,新曜社,1996,211頁。
*2 Clifford, J., ‘Traveling cultures'(Grossberg, L, Nelson.C, and Triechler, P. eds., cultural Studies, Routledge, 1992), pp.96-112
*3 Gilroy, P., ‘Traveling theorist'. New statesman and society, 1993, 12 February, pp.46-47.
*4 Kaplan, C., Questions of Travel, Durham and London, Duke University Press, 1996,238p