“野人”のように姿を現さない“イメージ”を、観光資源として利用するにあたっては、送り手側は常にモラルを持って旅行者に接してもらいたい。安易に金儲けに走るのではなく、また証拠をでっちあげてまでその実在を強調するのでもなく(真剣に研究している学者に失礼である)、“野人”という「物語」を、神農架を訪れる人々が共通に見られる夢として、扱うのである。そこに過剰な演出はいらない。ありのままの原生林であっても、そこに“野人”のビハインド・ストーリーが語られてさえいれば、「ひょっとしたら」との思いが何気ない散策を、胸高鳴る擬似探検へと変えうるのである。観光客は“野人”伝説を体感すべく、一時幻想の世界に遊ぶのだ。人の想像力に訴えかける、新たな観光のスタイルである。
未確認生物のいると言われる土地は、当のメインキャラクターが決して姿を見せることのない――まさに「未確認」であることを「確認」する作業を楽しむ―、地域レベルの大きな「見せ物小屋」なのである。
おそらく中国では初の試みであろう神農架のケースは、今だ発展途上である。今後どのような形で“野人”観光が定着していくか、非常に興味深い。海外ではまったくの無名に近いが、中国国内の観光産業を考える上で、現在の神農架は大いに注目されるべき場所である。
参考文献
*日本語文献、単行本(50音順)
今泉忠明著『動物百科・謎の動物の百科』1994年、データハウス
上田信著『エコロジカル・ヒストリーの試み・森と緑の中国史』1999年、岩波書店
鵜飼正樹「『コマす』装置・…見世物小屋の構造と論理」(『見世物小屋の文化誌』1999年、新宿書房、所収)。
下坂英ほか『科学見直し叢書1 科学と非科学のあいだ 科学と大衆』1987年、木鐸社(特に第二部「現代科学における科学と非科学」I、下坂英「未発見動物学」)
周正著、田村達弥訳『中国の「野人」類人怪獣の謎』1991年、中公文庫
高馬三良訳『山海経 中国古代の神話世界』1994年、平凡社ライブラリー
武田雅哉『翔べ!大清帝国』1988年、リブロポート
−『清朝絵師呉友如の事件帖』1998年、作品社
武節作太『ヒマラヤの旅』1957年、ベースボール・マガジン社
谷口正彦『雪男をさがす』1971年、文芸春秋社
直江広治『中国の民俗学』1967年、岩崎美術社
中野美代子『孫悟空の誕生 サルの民話学と「西遊記」』1980年、玉川大学出版(文庫版、1987年、福武文庫)