五、教会家族となって十六年
名古屋市親和会 紙屋忠勝
僕は、小学校四年の始めから五年の終りまで、姉と弟と共に養護施設にいました。この施設は、いろいろな事情で、両親と別れた子どもたちが集まる所で、その中での団体生活というのはいろいろな面で僕には充実したとても楽しい生活でした。
二年程たった或る日の夜、子どもたち全員が三階ホールに集められて施設の先生が話をされた。
「この施設も次々と、両親のいない子どもたちが来るので、とても収容しきれない人数になってしまうので、この中にいる皆さんの中で誰かが他の施設に行くか、どこかの一般家庭の養子(里子)に行くことになるかも知れません。」
話の終ったあと僕たちは部屋で「あいつが出て行くのかな?」「いや、あいつだろう!」と、他人事のように話しをしていた三日後、僕と弟と姉が先生に呼ばれた。それは「姉は身体を患っていたので(心臓欠陥(かん))施設に残り、僕(十一歳)と弟(九歳)が養子に出される。」という話しでした。ものすごくショックでした。