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そこで心のつながりは、まず話し合うことだと思い、家にいる時はできるだけ多く一緒に過ごす時間を作り話し掛けました。ゲームをしたり、料理を手伝ってもらいながらのおしゃべり、食事やその後片付けをしながらの会話、一家団欒テレビを観ながらの無駄話、日が経つに従って子どもの方からも話掛けてくるようになりました。幼かった頃の話、お父さんをはじめ家族のこと、学園で過ごした日々のことなど思い出しては少しずつ話してくれます。時には欲しかった物、やりたかったことなどいろいろです。その話を聞いて、今まで満たされなかった願いの数々をこの際できるだけ叶えてあげようと思いました。旅行に行ったり、遊園地で遊んだり、お花見に行ったり、時にはタイガースの応援なども行きました。皆で楽しく過ごしました。髪の毛を長くしたい、ジーパンが欲しい、ジーパンを佩いて髪の毛を肩まで伸ばすことが2人の夢だったのです。幼い頃から抱き続けた願いが実現したので、その喜び様は大変でした。また、遊びや行動にも積極性がでてきました。姉は早速ソフトボール部に入り、夕方遅くまで練習です。妹の方はスイミングスクールや習字にそろばんと大忙しの毎日です。2人は家にいる時は仲の良い姉と妹です。幼児に戻ったみたいに、その日に行った所や体験したことの模倣です。病院へ行けばお医者さんごっこ、スーパーヘ行けばお店屋さんごっこ、パーマ屋さんやクリーニング屋さんやいろいろです。私もよく付き合いをさせられました。このごっこ遊びは余程気に入ったのか、しばらく続きました。遊びに飽きると、背中がかゆいのでかいてとか、オンブしてとか、なんだかんだ言っては私にまとわりついてきます。そんな時は、子どもの背中をなでたり、手を握ったりしながら、里親になれて良かったな、この喜びと幸せがいつまでも続くといいのになあ、と思いました。

でも、事態は子どもの成長につれ、思いとは反対の方向に進んでいきました。中2になって間もない頃、姉は近くの書店からマンガの本を万引きしたのです。友達に頼まれて仕方なく盗ったと言うのです。日頃からあれ程人の物には手をかけないでね、と言い聞かせていたのに、それも無駄なことになってしまいました。大きなショックでした。学校からも服装や行動のみだれを注意され、折角開きかかっていた心が閉じてしまったのでしょうか、何を言っても通じません。母親として初めての挫折です。子どもを育てたこともない私達夫婦には、無理なのかなと思い悩みました。この時私を支えてくれたのが、里親会のお母さん方でした。また、児童相談所の先生方でした。妹の方は、性格もおっとりしていて、姉のようにすぐに行動にでるようなことはありませんが、学校生活のことで悩みを持っていました。それは名前のことで友達からいろいろと聞かれることです。「家の表札に書いてある名前と胸の名札に書いてある名前が違うのどうしてなん?」尋ねられると答えることができないのです。ある日、ランドセルを置くなり泣き出して「明日から学校行きへん」と言うのです。原因はこの名前のことです。このままではまずいと思い、すぐ学校に行き先生と相談しました。学校は「本人の希望しだいで、里親名でも本名でもどちらでもよい」とのことです。早速このことを伝えると、次の日から名前を自分で里親名に書き変えて何事も無かったように登校して行きました。下の子がこれほどまで名前にこだわっていたことに、私は驚きました。卒業式の日には、里親名の卒業証書と本名で書いたものを2枚いただきました。こんなことがあってからは、養子縁組をして実子として育てることを考えるようになりました。姉が反抗するのも将来のことに不安を抱いているからではないだろうか、時期をみていつか話してみることにしました。

 

 

 

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