もちろん、実際に音を書く作業はそれからのことである。けれども、リブレットを定着させることにいつの間にか夢中になっていた私は、自分ではほとんど無縁だと思っていたオペラを、自分の音の生理や欲求や願望のなかのまぎれない「実体」として追い求めていたのだった。そして、その作業を通じて、やっとオペラ《遠い帆》の主題が見えてきた。
主題は「運命というもの」であり、その不条理の表象が六右衛門に刻印される。いや、ソテロや政宗にも、その見えない鎖は繋がれている。六右衛門はその不条理を受け容れ、受け容れることによってそれを超えた。運命という大河の、この一粒の飛沫は、7年を経て水に帰り、見えなくなる。大河の流れは永遠の時の動態でもあろう。1613年秋、サン・ファン・バウティスタ号が船出した夜も今も、月の浦の浜辺で無心に歌い遊ぶ子供たちとともに、時は続いている。その長い時の紡ぎの一瞬の気まぐれのように、六右衛門の7年の船旅は、彼の生涯の終わりに小さな弧を描いたに過ぎまい。だからこそ、そこに「運命というもの」の超克されるべき不条理のドラマが凝縮するのではないか。
ここまでに、作曲をお引き受けしてから6年が過ぎていた。ヴォーカル・スコアーを書き始め、翌年完成させた。ヴォーカル・スコアーを書く仕事は楽しかった。高橋さんの言葉、その並びと運びが音の呼吸や響きのなかでパロール(人格を持った言葉)として聴こえ、人の動きも照明の変化も、舞台の一切が譜面のなかに幻覚された。童唄も六右衛門の能楽風な歌い回しも、それらを様式として取り込むのではなく、自然な日本の生活風土のなかから聴き取った。恋愛とか戦いとかの筋書きらしい筋書きもなく、ただ六右衛門の小さい日常が綻び、遠い異国へとつながっている大海原を漂ってゆくだけの孤独な帆を、私のなかの童唄の風が押し、予感の波に誘われる作業だった。だから、その船とともにヨーロッパの陸地に行き着くと、そこに私は市民たちの踊りの靴音を聴こうとした。
仙台では市民参加の合唱団が結成され、翌1998年、練習が始まった。その前年に演出を引き受けて下さっていた佐藤信さんから、オーケストラを舞台に乗せる案が示された。その前提で、コンデンス・スコアーの形で書いていたオーケストラ・パートをオーケストレートする作業は、ヴォーカル・スコアー完成から更に1年余り、今年の1月3日朝までかかった。
書く仕事に限って言えば、ここまでに9年かかったと振り返ることになるが、それでは私は「オペラを書いた」のだろうか、と心許なく訝しむ。オペラ作曲というものは、今もやはり解らない。解らないでいることだけが、「オペラでないオペラ」を書いたということになるのかもしれない、とも思う。だが、すべてが初体験の連続のなかで、合唱団、その指導者とコレペティトゥワール、オーケストラの副指揮者、演出助手、そのほか大勢の謂わば舞台裏の人たちのそれぞれの仕事の苦労、その協同の素晴らしさを知ったことは、確かな勉強になった。仙台市の広いご関係者の皆さんはじめ、出演者、スタッフ、すべての皆さんに篤く感謝申し上げたい。
−初演プログラムから再録−