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4 海岸保安林の役割

 

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九十九里拡大地図

 

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東浪見の拡大図

 

清野 昔、日本海側の砂丘の端に位置する集落のところで、砂が飛んできて困るというのを通り越して、砂丘が崩れて集落を飲み込むという、砂津波というような現象が起きていました。

それで、こうした地域に住む人たちにとって、砂をコントロールするというのは、自分たちの安全を考えた上でとても重要でした。その結果、特に明治時代から大正時代にかけて海岸保安林の基礎技術や基礎研究が大分進みました。ですから、今の海岸保安林のいろいろな考え方だとか、どういう植物を使うかという基本的な技術は、主に昭和の初めまでには完成された考え方が出来ていたようです。

 

保安林として、いわゆる白砂青松という風景のもとになった松を植えていたのは主に江戸時代からなんですが、その時代には松が中心だったわけです。けれども明治時代に入ってニセアカシアとか、栄養分の少ないところでも急激に育つ広葉樹を使う、もしくはマメ科の植物で土壌を豊かにして、その後に他の木を植えていくというような技術開発が明治、大正、昭和に行われました。

 

宇多 北陸沿岸に標高が50mもある砂丘がありますが、あれは冬季の風が強いからできるんですが、決して短期間でにできたわけじゃなくて、人と砂との長い戦いの結果、出来たんです。何しろ砂で埋まっちゃった村があるくらいなので、ヨシズみたいな80cmぐらいの壁を何段にも作って砂を防ぐんです。そしてそこが砂で埋まるとまたその上に作ってと、そうやって何百年の間に、徐々に内灘砂丘とかの高い砂丘ができたわけです。

 

ニセアカシア

マメ科エンジュ属。原産地は北米で、和名はハリエンジュ。通常「アカシア」と呼ばれているが、アカシアとは全く別の樹木。街路樹として、また強い繁殖力のため砂防用としても良く用いられる。良質な蜜が取れることでも知られている。

 

 

 

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