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そしてその隣に松林があるわけなんですが、そこが同じ農林水産省の中でも林野庁所管といって、ここは森林法のもとでコントロールされているんです。海は、海岸法。そうすると法と法の間になんか透明な線があって、そこを超えるととたんに、さっきのイーラー先生のお話と同じで、セクター・バイ・セクターになって、各々の目的を達成することが最善だというようになって、それらを全体に調整する機関がないために、漁港の北側は砂が溜まってしまうのです。新潟ではさっきよりも昔の姿が一部分残されています。我々の父の時代は、こういう砂丘(写真-5)がずっと続いていたはずです。まだその砂丘の前に砂浜がありますよね(写真-6)。それが現在どうなっているかというと、その漁港の反対側で砂が止まって、こういうコンクリート護岸の風景が続くんですよ(写真-7)。これ、現地に行かないとそんなこと起こっているはずないと思うかもしれませんが、これは年間300メートルないしは400メートルの割合で、悪意を持った人はは誰もいないけれども、着実に進んでいっちゃうんですよ。それがもう構造問題として起こっている。無責任ですよね、専門家は。こういうものは学問でやると科学的障壁とか、ブレイクスルーじゃないもんですから、当たり前だろうと言われるんです。そういうことは研究しても意味がないではないか。だけど私のミッションは、別に論文を書くことじゃなくて、本当のここの砂浜が消えてしまうというのは何たることかと思ってますから、憤慨を覚えるんです。何人かの人を誘って、ボランティアも誘ってずっと歩いていくと、行けども行けどもまたその先にこういうふうにして、覆いをかけているわけですね、砂浜を(写真-8)。そういうことをやっておきながら、生物の多様性だとか調子のいいことを言うというのはいかがなものかと訴えたいんです。

で、その先行くと、今現在こうやって、これ相棒ですけど、ダンプトラックの高さのここまで崖ができている(写真-9)。ここの場所は来年行けばきれいな護岸で覆われて、その先もまたこうなるだろうとわかっている。わかっているけど止められない。そこのところを、何とかならないかと思うわけです。

今みたいな話をずっとしていきますと、刺激的な話だけして、要するにお前は提案がないだろうということになるので、私はいくつか考えました。まずは6項目。「2、3項目」じゃなくて、6つ、7つの提案で「環境復元の水準を定めるためのdata mining」です。一つ提案したいのは、今の若い人たちは、さっき私がご覧にいれたコンクリートブロックづけの海岸で生まれ育った人は、あれが日本の海岸だと思うようになります。そうすると、たとえばイーラー先生とかボルゲーゼ先生のように、外国の非常に自然豊かなところで育った若者と日本人とでは、サイエンスに対する各段のレベルの差が起こるはずなんです。そういう状態を防ぐためには、昔どういう状態だったかというのをちゃんと記録に残したらいいのではないかと思うんです。ところがそれは科学じゃないんですね。つまり新しい神秘的なブレイクスルーをしたわけではないんで、たとえばIT関係の研究からすると逆さまなことをやりますから、できて当たり前じゃないかと言われかねない。だけど、できて当たり前の状態が誰もやらないためにどんどん記憶から消えていってしまう状態というのは、果たしてどうかなと思います。

 

 

 

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