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しかし、この区別は英語以外では分かりにくいものです。「ガバメント(政府)」が「国の統治」であるのに対し、「ガバナンス(統治)」は、家族の成り立ち、事業、学校、教会の運営方法、習慣、伝統、文化など、対象が広いのです。「ガバナンス」は哲学に根ざし、結局は、人間の本質に関して我々が抱くビジョンに左右されます。そして、そのビジョンによって、人間が人間同士そして自然界の人間以外のものと築く関係が決まります。

本講演では、国連海洋法条約、ブルントラント報告、およびリオ・サミット(1992年)から生じた諸文書をもとに「海洋管理の哲学」という中心的概念を明らかにしたいと思います。「海洋管理の哲学」の概念は、とりわけ制度的な影響がありますので、話の後半では、これからお話するこれらの概念と一致する「ガバナンス」のシステムについても論じたいと思います。このシステムは、すでに地方、国、地域そしてグローバルなレベルで断片的に世界各地で生まれております。現在求められているのは、全ての部分間で、そして自然とも整合性があるシステムにする「建築」または「ビジョン」でありましょう。

我々が自然について考えたり、対応したりすることと、我々が我々自身について考えたり、お互いを見てお互いに対応することの一致は好奇心をそそる現象です。そして、人間が自分たちの本質について抱いている概念を自然に投影しようとしていることも多いのです。

ここで、20世紀が誇る偉大な哲学者の一人、バートランド・ラッセル卿が不思議に思っていたことを紹介しましょう。迷路を走ることを学習しているネズミでも、問題を解かされているチンパンジーでも、対象が何であっても、イギリスの科学者が研究すると「動物は試行錯誤で学習する」ということになり、同じことをドイツの科学者が研究すると「動物は深遠な思考と分析を行って学習し、正解を導き出す」ということになるのだそうです。

「人間とは元来非協力的で競争心が強く、闘争的で、不平等である」と考えれば、高圧的で独裁的な政府ガバナンス形態、搾取的な事業、そして殺伐とした家族ができ上がります。また、「弱者からだけでなく、自然からも搾取してよいし搾取する権利がある」、また「進化は適者生存によって行われる」と考える可能性もあります。さらに、「こうした考え方が唯一正しい考え方である」、「人間は森羅万象の中心であり、人間以外は重要ではない」と確信してしまいます。

他方、「人間は元来協力的であり、平等の権利を持って生まれ、長い目で見た進化の牽引力は競争ではなく協力であり、人間は自然の一部である」と考えるならば、人間の権利だけではなく自然の権利をも尊重するような政府やガバナンスの形態ができるでしょう。そして、こうした政府やガバナンスの形態は、さまざまな文化を背景に、時や場所の違いによって多様な形態を取ることでありましょう。

私は、あらゆる文化は、「人間は元来非協力的である」と「人間は元来協力的である」という哲学的に両極端な考え方の間を揺れ動いてきていると考えます。「人間は元来非協力的である」という考え方はずっと続いてきましたが、そのまま人類滅亡に繋がっていく恐れもあります。いずれにせよ、人類はいつの日か消え去ります。なぜならば、初めがあるものには必ず終わりがあるからです。

しかし、今ここで「人間は元来協力的である」という考え方が勢力を増しつつあります。

 

 

 

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