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それは病院が生活をする場であるということを考えなかったからです。病む人の生活をする場があのような病院の狭いところで、そして窓もあるかないかわからない、絵を飾る額もない、そういうふうなところでみんなが死んでしまう。シェイクスピアが申しましたが「終わりよければすべてよし」、こういうような状態に私たちはしなくちゃならない。

皆さんの人生のなかでは、今まではどんな環境で過ごしてこられたのかはわからないですが、皆さんの最後の環境をよくするように皆さん自身が努めると同時に、これは日本人全体が考えを変えなくてはならない。私たちは物を持って死ぬわけにはいかないし、勲章を持って死ぬわけではない。裸で生まれて裸で死んでいくのです。そのときに「生まれてきてよかったね。世話をかけたね。どうもありがとう。先にいくよ」というふうに感謝をこめた別れの言葉を遺して死ぬことができればいいわけであります。

私の同級生の、ある労災病院の院長ですが、お医者さんの場合にはしばしば自分のことはわかると思って検査をしないことがあるのですが、痔だと思ってたら大腸癌で、その後、肺に転移をして、そして腎臓に転移して亡くなられました。彼がいよいよ亡くなるときに、私は最後のお別れに行ったのですで、彼は私を認めて「日野原くん、先にいくよ。また君もすぐに来るからね」といわれました。彼は非常に痛みを訴えていたので、主治医をナースステーションに呼んで話をして、「あの痛みをもっとモルヒネで止めて下さい」と私はお願いをして帰ってきました。現代の医学は、痛みをコントロールすることについてはとても進歩しているからです。

つい去年のことですが、私がホスピスで扱った患者さんは、東大を出た後ボストンのマサチュ−セッツ工科大学に入って、ソニーの研究所に勤務して半導体の研究をやっていました。そして間もなく50歳になるというそのときに、眼科を開業している奥さんに対して、「君はずい分生き生きと仕事をしているけど、ぼくもそういう仕事がしたい。長男も医科大学にいる、次男も再来年は横浜の医大を受けるというんだけど、おれも受けようかな」と言って、51歳のときに東京医科歯科大学を受験して、合格された。英語も物理も数学も得意ですから、生物だけを勉強して、そして6年間のコースを済んで、2年間の研修医も済ませ、そして59になったときに健康診断したら、進行している膵臓癌だということがわかった。手術をしても癌の摘出はむずかしい。でも、手術をしたのですが、やはり効果はなく、その後、ホスピスに入って、ホスピスで亡くなられました。こういう人がいるのですよ。

 

 

 

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