確かにみずからの頭を使って知識を得る場として初期体験学習がありましたが、その当時は基本的な医学知識に乏しかったこともあり、あまり成果があったとは思われません。それに対し、今回の解剖学実習では、実習を自らの手で行うことにより、医学への関心が高められていき、その結果として大きな成果が得られたように感じられます。
解剖学実習が実際に始まるまでは、私は実習書の内容にしたがっていけば何とかなるだろうという甘い考えでいました。しかし実習室に一歩足を踏み入れたとたんに、そのような甘い考えは吹き飛んでいってしまいしまた。吹き飛んだというよりはむしろ、とまどいにかき消されたという方が正しいのかも知れません。日常生活では全くお目にかかることのない「御遺体」が広い実習室に置かれてある光景にとまどいを感じずにはいられませんでした。黙祷が終了し、実習を始めなさいという指示があった時にも、とまどいのために恐る恐る実習を始めたことは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。しかし、何度か実習を行うと慣れてきて、とまどいが薄れていきました。それにつれて緊張感や感謝の念も薄れてしまい、実習が作業的かつおろそかなものになってしまいました。そういう時には、「御遺体」が、私たちの勉強の「先生」となって下さって、数多くの知識を無償で提供して下さっている献体をして下さった方々の御厚意を思い出すことによって、自らを戒め初心にかえって実習を続けました。実習の最後の日には、納棺式が行われましたが、棺の中に「御遺体」をおさめるにあたって、今までの実習を振り返って、この「御遺体」から全てを学び取れたのであろうかという疑問が起こりました。