その後、インドネシアは、1986年2月3日に国連海洋法条約を批准したが、同条約批准後の体制を整備するために1996年に新しく「インドネシア水域法」(1996年法第6号)を定めた。これを受けて、1998年6月16日、インドネシア政府は、Natuna Seaにおけるインドネシアの群島基線の基点となる地理座標のリストに関する規則(1998年政府規則第61号)を制定し、マラッカ海峡東側出入口東方のNatuna Seaに新たな群島基線を発表し(32)、群島水域航路帯の設定に向けての動きを始めている(この点については、後述)。これにより、1960年法で定めていた群島基線が一部修正され、それまで公海(又はEEZ)であったNatuna Seaの一部水域もインドネシアの群島水域ないし領海と主張されたことになる。(図9)インドネシア主張の新群島基線
(10) フィリピン(図10)フィリピン主張の条約区域及び群島基線
フィリピンの国家領域は、もともと、米西間の1898年12月10日のパリ条約第3条に定める水域(いわゆる「条約区域」)であり、それは米国からフィリピンに譲渡されたと主張している。フィリピンは、1961年の「フィリピンの領海の基線を定める法律」(1961年6月17日共和国法第3046号、1968年9月18日共和国法第5446号により改正)を制定し、上記「条約区域」を確認してこれを領海とするとともに、80ポイントの基点を結ぶ領海基線(直線基線)を設定して、その基線内のすべての水域は、フィリピンの内陸水又は内水と考えると主張した(33)。この時点では領海基線(直線基線)の語が用いられているが、これらの基線のうちもっとも長いものは、モロ湾(Gulf of Moro)入り口に引かれた140カイリであり、陸地と水域の比率は1:1.8であった。この1961年のフイリピンの主張に対して、米国は、1961年及び1969年に、1958年第一次国連海洋法会議においても群島問題は決着せず将来の検討に委ねられていたと指摘し、フィリピンの直線基線制度が公海部分を自国の内水化するものであるから、国際法上認められないという抗議をしていた(34)。
1973年1月17日施行のフィリピン共和国憲法第1条(1)も、上記のフィリピンの主張を前提として、「同国の領域(territory)は、フィリピン群島から構成されるが、それにはすべての島及び水域を伴い、領海、上空域、海底、地下、礁その他フィリピンが主権又は管轄権を有する海面下の区域を含む。