「ふじ」の停船命令に対し、ラ号は逃走を始め、火器を発射したので、「ふじ」が自動小銃及び拳銃を用いて射撃(合計67発)したところ、弾丸がラ号の操舵鎖に命中し、操舵鎖が切断したため(舵が効かなくなった)、逃走を断念した。このためラ号船長以下乗組員全員を出入国管理令(現在の出入国管理及び難民認定法)違反及び船舶法違反で逮捕し、船体等を差し押さえた。この事件の裁判では、本件に対しては我が国に裁判権がないのではないか、あるいは、当時のソ連の船舶は公船であって、治外法権の対象ではないか等、かなりの部分、国際法的論点が中心ではあったが、結果として、大変珍しい、船舶法で規律する不開港場寄港の罪が成立した事例となったものである。
ところで、本件の旭川地裁判決(昭和29年2月19日、判時21号23頁)では、実は武器の使用は問題になっていない。裁判に至るまでの事実の経過の中で、武器の使用が語られているだけである。公判廷での尋問に対し、当時の現場指揮官は、自分自身で不審船を発見したこと、その船は国旗もなく、一見船の型が日本船でないので、一応停船を命ずるため、サイレン、拡声器、信号拳銃を使用した旨、また、信号拳銃、サイレン、拡声器が相手船に対する停船信号だという根拠について、法令上の根拠はないが、しかし本人が商船に乗っていたときに外国船舶から停船命令を受けたときもこの方法であったこと、海軍時代に外国船を停船させたときもこの方法でやった旨を述べている。また射撃の根拠については、警職法第7条と正当防衛であると明確に答えている。
また、停船命令がラ号に徹底していなかったのではないか、そもそも停船信号についての国際的しきたりがあるかどうか、それがあるという証人は唯我独尊ではないかとの弁護人の問いに対し、「唯我独尊で言っているのではない。国際法上の慣習になっているといっているので、明文になっているかどうか私が不勉強だからでしょうが知りません。しかし、終戦後現在までソ連は北海道の漁船を450隻以上拿捕している。拿捕する時、私が行こなった同じ方法で日本の漁船に停船を命じているではないか。この方法がソ連の船に通じないということは考えられない(22)。」と答えている。そして、判決では、本件射撃については一切触れられてはいないため、判決に示された本件事件の証拠のリストの中には、射撃が行われたことを示すものは全く含まれてはいない。