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(イ) レッド・クルセーダー号事件(1962年)

本件は、デンマークのフェローズ諸島の漁業水域で違法操業を行ったとして追跡された英国漁船の拿捕に伴う被弾事件を扱った国際審査委員会報告である(57)。1959年の英国・デンマーク間の交換公文は、フェローズ諸島の領海基線から青色の線(6海里)までの海域での英国漁船の操業を禁止していたにもかかわらず(58)、英国のトロール漁船レッド・クルセーダー号が同海域で操業を行っていたという理由で、1961年5月29日、デンマークのフリゲート艦ニール・エベンセン号によって停船を命じられ拿捕された。レッド・クルセーダー号は、フェローズ諸島の港への連行中、正確に言えば翌30日午前2時58分、拿捕を確実にするためにニール・エベンセン号から乗り込んでいた士官と下士官を乗せたまま、途中で進路を変更し逃走しようとしたため、ニール・エベンセン号が再追跡し、3時22分無警告のまま127mm砲により同号の船尾右舷方向向けに実弾射撃し、汽笛による第1回目の停船信号(K信号)を送り、停船を命じた。なおも逃走したため、その後、船首左舷方向向けに実弾射撃し、再度のK信号を送った。3時40分後の実弾射撃は、同号のレーダースキャナーとマストに対して行われ、最終的には40mm 砲が同号の船名プレート後部に命中した。そうした中、レッド・クルセーダー号とニール・エベンセン号は、フェローズ諸島とオークニー諸島(スコットランド)の間の公海上で、訓令により事態の収拾に向かった英国のフリゲート艦と漁業監視船に遭遇した。そこで洋上会談が行われ、レッド・クルセーダー号に拘禁されていた士官らをニール・エベンセン号に引き渡し、レッド・クルセーダー号は連行されることなく英国のアバディーンの港に向かうことになった。デンマーク・英国政府は交渉の結果、拿捕に関する当該事件の事実について両国の間に認識の相違があることを認め、国際審査委員会を設置して、調査報告することで合意した。諮問された事項は、1]レッド・クルセーダー号が拿捕されるに至った事実(同船が青色の線の内側で操業していたか否か、漁具を格納していたか否かを含む)、2]拿捕の状況、[3]拿捕後、レッド・クルセーダー号がアバディーンに到着するまでに起こった事実と出来事、の3点であった(59)

1962年3月23日に公表された同事件に関する国際審査委員会の審査報告は、「ニール・エベンセン号による1961年5月30日の3時22分から3時53分までのレッド・クルセーダー号への発砲につき、ニール・エベンセン号の指揮官は、次の2点で武器の正当な使用の範囲を越えた。

 

 

 

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