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春日行雄(かすがゆきお)(大正9.12.27生・神奈川県横浜市)

 

医師として精励する傍ら、多年にわたり日本・モンゴル両国民の親善促進に努めるとともに、私費を投じて親や家を失った孤児を救済する塾をウランバートル郊外に開設するなど、人生を学ばせてもらった国への恩返しを実践されている。

 

平成9年、モンゴルの首都・ウランバートル郊外に「テムジンの友塾」を開設した。同国の経済自由化に伴い、貧富の差が拡大して失業や離婚が急増した。氏は、家や親を失いストリートチルドレンとなった孤児達の家庭を作ろうとの願いから、近郊の土地2ヘクタールを借り、9棟のゲル(フェルト製の移動式住居)を建てた。

塾名は、子ども達に自覚を促し誇りと目標を与えるため、民族の英雄チンギス・ハーンの幼名“テムジン”にちなんだ。

 

子ども達に住む家、着るもの、食事、学ぶ機会を与えよう、家庭を作りそこから学校に通わせようという計画で、7歳から15歳までの男女が生活している。通常は現地のモンゴル人夫婦が管理しているが、開塾以来、夏になると氏は3ヶ月間、塾で子ども達と一緒に暮らす。自ら塾内外のゴミを拾い、子ども達も朝夕それぞれ1時間、牛や羊の世話、薪割り、水運びなどの作業をする。

塾にかかる経費は、氏の年金を充てている。冬には氷点下30〜40度にもなるため、近くにある未完成の2階建てビルを越冬舎として確保した。暖房工事など約500万円の改修費にも私財を投入した。これまでに約50名の世話をしている。

 

大陸にあこがれ18歳で単身モンゴルに渡った。軍医候補生に推薦され卒業したが終戦となり、ウランバートルで2年間抑留生活を送った。モンゴル語のできる医者として、過酷な労働に耐える抑留者のために尽くした。帰国後は保健所長、工場医、船医、生保社医と転じた。

医療に精励する傍ら、昭和40年日本モンゴル協会の設立にも参画し、平成元年にはノモンハン事件50周年の初の現地慰霊訪問、またウランバートルの抑留日本人墓地建設など、抑留者の慰霊に献身的に奔走し、実現させた。

モンゴル関係書、資料の収集でも知られ、5万冊の「春日モンゴル文庫」を所蔵。著書に「ウランバートルの灯 みつめて五十年」がある。

氏は人生の締めくくりの仕事として、『人生を学ばせてもらったモンゴルヘの恩返し』と、子ども達の将来に夢を託している。

(田中弘推薦)

 

 

 

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