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海洋法における<理想>、<皮肉>、そして<現実>

IDEALISM, CYNICISM, AND REALISM IN THE LAW OF THE SEA

 

Mr. M.C.W. ピント(Pinto)

 

出典:SEAPOL WORKSHOP ON ‘REGIME-BUILDING IN SOUTH-EAST ASIA,

 

Phuket, Thailand,

May 1-3, 1989

 

翻訳:若林保男

 

どのような注意深い法律家であろうとも、少なくとも自分の発表の特別なコンテクストに言葉を用いる時、用語の定義を必要とする。まず最初に明確にしたい言葉が三つあるが、それは、題目に使われている<理想>、<皮肉>及び<現実>である。このコンテクストで私は<現実>を、<皮肉>より<理想>の方にもっと関連のある対照概念として考えており、説明しておくべき言葉である。これらの言葉が本論では、堅い哲学的な意味よりは、寧ろ口語的あるいは常識的な意味に用いられることを強調しておきたい。

 

そのようなことから、<理想>は、自分の最も上位の考えを具体化、もしくはそれと一致させるために、想像力豊かに法的な原則や規則を成文化又は発展させようとする、精神的な心構えや実行への対応を論述する時に用いる。<現実>は、実質的な視点と方針を基礎とし、人間や物の本性として認知されているものを参照しながら法的な原則や規則を成文化又は発展させようとする、精神的な心構えや実行への対応を論述する時に用いることにする。

 

<皮肉>は、疑い又は人の誠意や長所をからかうことによって、絶えず自らを明らかにする精神的な心構えを意味する時に用いる。皮肉は、時にはユーモラスな言葉をもって語られているが、ある種の皮相と無責任が伴っている。それは一般的に非生産的であり攻撃的になることもある。従って<皮肉>は、それが場合によって軽い息抜きを与える範囲外では避けられる。

 

残念ながら、<皮肉>は度々<現実>と間違われる。それで、'精緻な洞察力は、それを備えていない人々から普通<皮肉>と称される'と断言した例としてBernard Shawが引用される一方、'<皮肉>は真実を不愉快に語る方法である'との視点はLillian Hellamanによるものである。その反面、歴史家であるKenneth Clarkは'<皮肉>と幻滅は爆弾のように我々を破滅させる程の効力をもっている'と警告している。ここでの<皮肉>という否定的な感覚が、私の知る限り、海洋法における交渉過程の10年以上の間、<皮肉>そのものの姿を明確にしたこともなければ、1982年、署名のために開かれた国際会議以来、国連海洋法条約や各国の実状においても、なお準備委員会の働きにも影響を与えたことはない。

 

 

 

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